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香貫山を走る

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【2013年の記事です。現在は記事のサービスを施設で提供しておりません】

“今となっては生きていくために走らないといけない(笑)”

15年ほどサラリーマンをやっていた西堂路さん、あくまで趣味であったランニングだったが知人の勧めで湘南マラソンに参加、次第に仕事へとなっていく。
この日、香貫山を使って初めてのトレイルランが行われた。
トレイルランとはランニングスポーツの一種で、舗装路以外の山野を走るものをさす。引率するのは普段は都内や鎌倉を中心に活動を行っているかまくRUNの西堂路淳さん。
Nステこと沼津RUNNNING&SKILLS STATIONに集まったのはおよそ10名。
第1回目のわりには多い参加者だと西堂路さんは言う。

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“鎌倉で一番最初に始めたときは2~3人でしたからね。10人集まったのは素晴らしいですよ”

香貫山でトレイルしたい、走りたい、そんなニーズがあったのだろうか、言われてみればそれもそうだ。
こんな街中にある山だ、いままでトレイルしなかったほうが不思議と言えば不思議である。
ただし、ランニングのプロである西堂路さんが言うには決して楽な山ではないとのこと。
沼津アルプスの織り成す起伏は鎌倉の山にはないという。普段は軽装で登れる香貫山だけに意外である。

“安全で危ない山ではないのでそういう意味では初心者向きですが、正直しんどいなというのが第一印象です。アップダウンが続くので初めての人は誰でもウェルカムという山ではないですね”

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集まった10人は30分ほどの講習を受ける。
かかとから履くという正しいシューズの履き方、バックの選び方、救急セットなどの持ち物や飲み物について、二人一組になってハチマキを使用した捻挫対応方法など初心者でもわかりやすく、経験者にとっては目からうろこの内容だ。

講習が終わるとさっそく香貫山へ向けてスタートする、目指すは193mの山頂、芝住展望台。

“ランニング教室というかもう山に行ってしまったほうがいいんです、そのほうが楽しいんですよ。駿河湾とか景色もいいですしね”

Nステでは今後も継続してトレイルランを行っていく予定だという。
徐々に距離を伸ばし最終的には沼津アルプスの縦走が目標だ。参加資格はロードを60分程度継続して走れる方。あまり難しく考えずまずは体験を。
身体を動かす喜びを自然の中で感じようではないか。

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かまくRUN:http://www.kamakurun.jp/
沼津RUNNNING&SKILLS STATION:http://n-sta.com/

ライジングサンマフェスティバル

今年も沼津魚市場でライジングサンマフェスティバルが行われる。

“復興したらいつかサンマフェスティバルみたいのをやりたいね”

イベントの発起人は2011年3月、仙台や気仙沼へ沼津から赴き被災地でボランティアスタッフとして1ヶ月ほど滞在した。
現地で壊滅的な港を見ていた地元の方からそんな言葉を聞いた。

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日本一の水揚げのある秋刀魚は、気仙沼の象徴だった。
いつか水揚げされたら…
いつかという夢物語に願いを込め宮城県の想いを持った人々と静岡のデザイナーなどが協力し手拭いを作った。
その手拭いこそがライジングサンマフェスティバルのはじまりである。

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秋の初めのこの季節、気仙沼ではお祭り騒ぎ(FESTIVAL)で秋刀魚を水揚げ(RISE)していること
秋刀魚が勢いよく水揚げされることが、気仙沼の復興の幕開け(rising sun)になるように。

そんな想いが込められた手ぬぐいは、その想いに共感した全国の方々の手に渡ることになる。

夢物語はその年の10月、現実へと動き出す。
崩壊した魚市場をなんとか再建し、船が入れるようになり秋刀魚の水揚げが始まったのだ。

気仙沼で水揚げされたサンマを
それまで家電製品など支援物資を送ってくれた沼津に送ろう。
この気仙沼の方の気持ちに応え沼津魚市場が場所を提供をした。

そんな港町と港町の想いがつながるイベント。

3回目を迎えるライジングサンマフェスティバル。
昨年から羽野水産、佐政水産など沼津の水産会社が買い取った秋刀魚をチャリティーとして提供するようになった。

気仙沼の方の求めているモノってなんだろうと確認をすると、
毎年
「忘れないでほしい」
と答えが返ってくる。

今年の支援金は、気仙沼の子供たちや高校生の活動に支援する。
我々同じ港街として共に笑顔になる日々を共有していけたらと思う。

同じ日に気仙沼でもサンマフェスティバルが行われる。
港と港のサンマリレー。

【1回目のサンマフェスティバルが始まるまでと当日の動画】

10月6日(日)
10時〜13時半
沼津魚市場第一市場
限定1000尾
http://rising-sanma.org

きつねの嫁入り行列

昭和32、3年頃
あげつち商店街はかつて上土センター街と呼ばれていた。

ものがない時代。
その中で上土センター街は活気にあふれていた。
その中で、街の若い男性がきつねのお面をかぶり
御殿場、富士、そして伊豆までを
その当時珍しかったバイクやオープンカーを走らせ
セールやお歳暮の宣伝をして回っていた。

狐の嫁入り

そんなユニークなこともやってきた上土(あげつち)。
あげつち商店街と名前をかえた今。
5年前から新しいイベントが始まった。

上土(あげつち)にある由緒正しい上土朝日神社と
毎月15日に開催しているいなり市、
そして50年前の出来事を合体させて出てきた案。
それが“きつねの嫁入り”である。

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我入道から渡し船で花嫁がやってくる。
上土で待つお婿さん。
二人は出会い、上土朝日神社の前で結婚式を行う。
そして人力車に乗り街中をまわり皆に祝福される。

お嫁さんもお婿さんも行列に参加する人も
みんなきつねのメイク。

記念すべき第一回目。
このイベントの実行委員長で紳士服店ノーブルを営む内田さんはこう振り返る。

“一回目は2月14日に行われた。
寒さも厳しく、西風が強かったがこの時ばかりはぴたっと風が止み、
とてもいい天気になるという不思議なことが起きたよ。
そして、川を渡し船に乗ってくるお嫁さんはそれはもう本当にきれいだった。”

最初は商店街のメンバー20人くらいでやろうといっていたが
周りの人の協力もあり、子供会の子供たちも参加し200人近い参列者。
新聞など各メディアにも取り上げられるほどの好評で終わり、
今年は5回目の開催となる。

このきつねの嫁入りのすごいところは
ただみんながきつねのメイクをしてお嫁さんが川をわたってくるからだけではない。

本当に結婚するカップルを募集し、
本当に宮司さんを呼び、
結婚の儀式を行い町中で祝福する。

フィクションとノンフィクションのはざまに私たちが参加している
なんとも不思議なイベントなのである。

終了時にはケーキカットや撮影会、
いちばんきつねらしかったで賞、
写真コンテストなども行われる予定。

今年も10月6日(日)に行われる。
きつねのメイクをして参列したい人は
12時に集合。
メイクをして行列に参加できる。

きつねになって参加してもよし、
行列をながめるのもよし。
1年に一度、きつねの花嫁を祝福する。
川と街が不思議に包まれるのを味わってもらいたい。

去年の様子

キツネの嫁入り行列 沼津 2012 from REFS on Vimeo.

≪お問い合わせ≫
あげつち商店街振興組合
TEL:055-962-3812

自然と共に自転車のある風景

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“狩野川流域の自然豊かな風景が魅力だと思います”

会場となった伊豆の国市、中島運動公園は地元の物販のほかに、高知県四万十市からの出店などまさにお祭りといった感だ。
今年で14回目を迎えた狩野川100kmサイクリング。参加者は年々増え、今年は866名のエントリーとなった。そのうち、647名は大会名称にもなっている100kmコースへの参加者となっている。

“自転車のブームがマウンテンバイクからロードバイクに変わり、長く乗れる自転車が増えたこと。それに伴って狩野川も舗装されるようになって環境が整ったのもあると思います”

実行委員会のひとり、伊豆の国市観光協会の山下康晴さんは語る。富士山に向かって走る形になるのは北へ向かって流れる狩野川ならではのコースだ。大会は2日間行われ、3つのコースを選んで参加できる。

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“平坦で誰でも楽しめる大会ってこの辺りではなかなかないと思います”

伊豆の国ポタリングはファミリー向けのスタンプラリーコース。50kmコースは狩野川沿いを中心とした比較的平坦なコース。大会の名称にもなっている100kmコースは50kmコースに中伊豆地区・天城地区を加えた走りごたえのあるコースだ。大会は当時の大仁町が自転車にとって素晴らしい環境が整っているということで2000年から始めたもの。最年少は7歳、最年長は78歳と幅広い年代層に支持されている。

“6割ぐらいは県内の参加者ですが、一番遠くは佐賀県や大分県といった方がいますね”

県外からエントリーする参加者にとって、富士山はなんといっても魅力的だ。
富士山の見えるところに住んでいるとついつい見逃しがちになるが、狩野川と富士山、その豊かな自然と暖かい気候は伊豆の大きな魅力である。イベントを通じて伊豆の良さ、地域の良さを再発見する人も多いのではないだろうか?

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“100kmサイクリングは集大成なので、普段から自転車を楽しめる環境を整えていけたらいいなと思います”

100kmサイクリングの目指すところを山下さんは語る。
それは非日常的なイベントだけではなく、自転車のある風景を日常とすること。
自転車を通じて自分たちが住んでいる地域を知るということ。
快適な大会運営は参加者との一体感を生む。
そこにもやはり想いがある。

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伊豆の国市観光協会では誰でも気軽に自転車を楽しめるようレンタサイクルも行なっている。ルイガノ社製ミニベロなどおしゃれな自転車が1日500円でレンタルできる。伊豆長岡駅でレンタルし、自転車で狩野川沿いの風を感じるのはこの時期とてもおすすめだ。
http://www.izunotabi.com/cycle/

昼でも食べられる餃子

うなぎの名店、沼津うなよしで餃子が食べられる。
しかも沼津の特産“鯵”を使った餃子。

不思議だと思うが
半年前にデビューした“あじ餃子”はうなよしの代表するメニューの一つとなった。

そもそもなぜうなぎ屋で餃子なのだろうか。
沼津うなよしの大将、名古谷さんにお話しを聞いた。

「沼津の特産を活かせないか。と思ったのがきっかけです。
うなぎにはこだわらずにね。」

静岡県飲食業衛生同業組合の中ではじまったプロジェクト。

かつてアジによっても栄えた沼津。
そのアジに注目した。

ひものというイメージを一変してまずはつみれ団子をつくった。
さすがはプロ。とてもおいしくでき
ピーマンやしいたけに詰めて焼いたり、ハンバーグにしたり
いろいろ試行錯誤をしたうえにたどり着いたのが“餃子”だった。

なぜ”餃子”にたどり着いたのか。

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「味はもちろん、子供からお年寄りまで人気が高いのが餃子。
だけどお昼に食べるにはちょっと・・・ためらってしまうのが餃子。
だからお昼にも食べれる餃子にこだわりました。
私自身も餃子が大好きなのに昼に食べられないのをなんとかできないかとおもっていたんだ。」
と古谷さん。このあじ餃子を作ることで自身もより楽しめるようになった。
ニンニクなしでもしっかりとした満足感と、魚臭さがなく肉のようなジューシー感。
ヘルシーに仕上げる野菜。どれをとっても研究し尽くされている。
さらに、もうひとつのこだわりが“タレをつけないでも食べられる”ことだ。
ひとつひとつ手作りで丁寧に作られている。

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地域と経験をいいバランスで。
あじぎょんには地域を超えた良さが詰まっている。

ネーミングを募集したり、
イラストを従業員に書いてもらったりと
周りを巻き込んでできたこの餃子。

静岡県飲食業衛生同業組合に加盟している店舗で出されている。
沼津うなよしでつくられた餃子は沼津のいろんなところで食べられている。
加盟しているスナックでも人気メニュー。
アレンジバリエーションの多い餃子は冬は鍋に入れたりと
各々の店で工夫されているものおもしろい。

地域にあるお店としてジャンルを超えた活動。
一流のお店だからできること、
組合での協力や盛り上げ力。

今回、このあじ餃子のあじぎょんは
沼津自慢フェスタ2013に登場した。

さらに今回はうなぎライスボールフライも。
沼津うなよし秘伝のたれがしみ込んだおにぎりにはしっかりとウナギがはいっており、
崩れないようにパン粉をまぶして揚げてある。
はじめはコロッケのサクサク感、そしてあとからうな丼を食べているような
満腹メニューである。

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自慢できるものを提供したい。
だからこのためにいろいろな努力をしている。
うなぎ屋として街に対してできること。
それを全力でやっている。
ひと手間を惜しまない、街に対しての想いが伝わってきた。

「沼津で安心して食べられる店を目指していきたい」
とのこと。
きれいにしてある厨房からは見えないところからもまごごろが伝わる。

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沼津うなよし
AM11:00~2:30 PM4:30~8:30 火曜日休み
〒410-0822
下香貫樋ノ口1712-3
tel:055-931-2131

日本酒を楽しむということ

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今年で3回目を迎えた沼津日本酒フェスが9月21日に行われた。
会場を大手町会館からキラメッセぬまづに変更し、来場者も350名と増え、日本酒好きの集まるイベントとして定着した感もある。
青森から福岡まで28蔵の方が沼津に集まり、出品もあわせると40蔵のお酒が楽しめた。

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その日本酒フェスを主催するのが吉田町に店を構える丸茂芹澤酒店、大正13年から続く老舗である。

“定期的に沼津でやる試飲会ってほとんどないんで。地元でもやってみたいなと思って始めました。飲み比べるって家ではなかなかできないですしね”

そう語るのは三代目となる店主の芹澤直茂さん。
清酒、焼酎、ビール、リキュール各種そろえた店内。その中でも目を引くのはやはり日本酒の品揃えだ。
日本酒は軽い口当たりから味わい深い物まで幅広いタイプが100種類以上。
並んだ酒瓶のラベルを見ているだけでも気分が高まる。
芹澤さんは全国から仕入れた全てのお酒を試飲し、その出来を確認しているという。

“日本酒は幅が広いので各蔵の違いを楽しんでほしい。新酒には新酒の良さがあるし寝かせたお酒には寝かせた良さがある”

寝かせたお酒とはいわゆる古酒と呼ばれる琥珀色の日本酒だ。
厳密な規定はないが3年以上寝かせた日本酒を古酒と呼ぶらしい。
芹澤酒店には蔵で10年、店で20年寝かせた古酒がある。

“含まれる成分から違ってきますから味わいがまるで違います、銘柄によっても違いますから同じようにはできないですね”

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うう、日本酒好きにはたまらない話だ。
芹澤さんではこの手の話題に事欠かない。
自分の好みやその日の気分を伝えればすべてお任せで選んでくれる。

“作り手と話す機会は日ごろないじゃないですか?日本酒もそれぞれにストーリーがあるんです。それを知っていただきたいというのもあって日本酒フェスタをやっているんです。それに、みんなでワイワイ飲むのは楽しいじゃないですか”

そう、ここでも楽しむことが前提とされる。
“おいしい、楽しい経験をする。まずはそれが大事”
そう語った髙嶋酒造の髙嶋さんとどこか通ずるものがある。
作り手と売り手、立場は違えども日本酒に対する想い、地域に対する想いは変わらない。

日本酒は奥が深い。その分、ついつい有名銘柄で選んでしまう。
たまにはスーパーではなく、専門家である酒屋さんに相談しながら決めるというのはいかがだろうか。

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丸茂芹澤酒店
沼津市吉田町24-15
電話:055-931-1514

恩返しのうた

各メディアでもおなじみとなった
沼津ご当地ソングを歌うミュージシャン、飯田徳孝さん。

飯田さんの抜群の歌唱力とわすれられないメロディー、そして沼津港のいろんなものが含まれた歌詞。
この絶妙なバランスがたまらない。
ニュースからお笑い番組まで全国のメディアに取り上げられ今や全国区。
各地から飯田さん目当てに沼津港に来る人もいるほどの人気ぶりだ。

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飯田さんは昔、ミュージシャンを目指していた頃もあったが
うまくはいかず会社員として働いていた。

転職した先が、ここ沼津魚仲買共同組合。

沼津魚仲買協同組合は沼津港の仲買人が中心となりできた組織。
組合事業として、保冷容器の開発・供給、冷蔵庫保管、トラック輸送協約等を行い、
仲買人の流通業務を支えている。
また、新鮮館や旬彩街など沼津港を中心とした港湾再開発プロジェクト等にも積極的に取り組んでいる。
ここで経理として働く飯田さん。
だが経理だけにとどまらない。

魚のことなど何も知らない飯田さんに
色々と親切に教えてくれたのが組合や商店街のみなさん。
温かく迎えてくれたみなさんとのつながりを大切に、
そして恩返ししたいという気持ちが
得意の「音楽」と結びつき、ご当地ソングが生まれた。

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一番最初にできた、「BIG BOX~沼津ひものの歌~」は
当初ひもの屋にたえずおいていたそうだ。
干物と一緒にCDをプレゼントしていた。
喜んでくれる人もいたが、そうでない人もいたそう。
だけど、自分には歌しかないと頑張って続けてた。

今も変わらず店先においてある。
ご飯やお土産を買った後、通りかかった時
自由に持ち帰れるように。
さらに、隅々まで沼津港を楽しんでもらいたい
その想いから、今は旬彩街の各店においてある。

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配布しているCDは
すべて飯田さんの手作業。
1枚1枚音源を入れたCD、コンビニのコピーで印刷したジャケット、
歌詞カードまで自らホッチキスでとめている。
これほどにも手間暇をかけてつくられたCDからは飯田さんの熱い思いが伝わってくる。

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少しでも気軽に、得した気分でお土産にしてほしい。という気持ちで
今までずっと無料で配ってきたCD。
現在はベスト盤が店先に並ぶ。
こちらももちろん無料。

「沼津だけが元気になるんじゃなくて、沼津から全国を元気にしたい。
なのでまだまだ歌います!」
と飯田さん。

今やいろいろなところから依頼もくるそう。
自分の夢をかなえながら、周りの人たちに支えられながら
飯田さんらしいこの町への恩返し。
これからも楽しみです。

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飯田さんのライブ風景はこちら

プロレス”から”

地域密着お茶の間プロレス。
それが沼津プロレスである。

「プロレス“で”街を元気にするのではなく、
プロレス“から”街を元気にする。」
そう語るのは沼津プロレス代表の高橋裕一郎さん。

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そもそも沼津プロレスがはじまったわけを聞いた。

祖母が力道山好きということもあり、
幼いころからプロレス好きだった高橋さん。
それは成長しても変わらず、好きなものといえば
「●●とプロレス」といったように
プロレス好きは変わらなかった。

プロレスが好きというだけで特にそれ以上の活動はなかったのだが
2002年に転機が訪れる。
友人の紹介で、プロミュージシャンでプロレスラーでもある矢口壹琅さんに出会ったのだ。
自身も音楽をやっている高橋さんと「音楽とプロレスを融合させて地域密着した何かをやりたいね」と盛り上がった。

その頃、大衆娯楽だったプロレスの人気は低迷。
ゴールデンタイムでプロレスが放映されることがなくなった。
そのプロレスを地方から応援しようと、まずはラジオ番組から始まり、多くの出会いに恵まれ
遂に沼津プロレスの旗揚げとなった。

素人では到底旗揚げなど出来るはずのないプロレス団体だが、
矢口壹琅さんがブッカーとなり選手とリングを用意し、
高橋さんは企画に専念。
構想から1年経った2006年9月、沼津プロレスの旗揚げとなった試合は
キラメッセぬまづを満員にした。

カテキングやヒラキングといったなんだかなじみのあるネーミング。
高橋さんの中でどんどんアイディアが湧いてくる。
沼津にはいくらでも“ネタ”がある。それほど沼津は素晴らしい街なのだ。

たとえばカテキング。
決めポーズはお茶の湯飲みをもっているジェスチャー。
そのほかのキャラクター、詳しくは選手名鑑で。

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「ふつうに好きなことをはじめただけ。
ただ、好きなことをするならだれかの為じゃないと。」
高橋さんは言う。

「プロレス」
大衆娯楽の王様とはいえ、みんなに受け入れられるわけではない。
だけど沼津プロレスは違う。
地域にちなんだなじみ深いキャラクターの名前、くすっと笑ってしまうイラスト、
地域イベントへの参加やバンド活動。
プロレスと距離のあった人でもぐっと近くなる存在。
プロレス“から”の幅広い活動、それが沼プロだ。
もちろん質の高い試合も自慢だ。

今年の沼津自慢フェスタにも沼津プロレス オールスターBANDが登場した。
大いに盛り上がる会場。
最後はみんなでダンス!会場が一体となっていた。

沼プロ自慢フェスタ

沼プロが居る所、笑顔があふれている。
それは、プロレス“から”の沼津、
地域密着お茶の間プロレスだからこそ。

プロレス“から”町おこし。

戦後、近所のみんながお茶の間の一つのテレビに集まり、
日本に元気を送ってくれたプロレスは、親子3世代、初めて見ても楽しめる、大道娯楽の王様。
沼津プロレスはまさにその“お茶の間”プロレスだ。

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~沼津プロレス情報~
沼プロ公式サイト

時代を見極める酒

白隠正宗を造る高嶋酒造は
原駅からほど近く
住宅の間にひっそりと酒蔵を構える。

蔵の横には酒で使用している“水”をくむことができ
地元の人がくる。
あまりに自然な光景にほっとする。

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今回、髙嶋酒造代表の髙嶋さんにお話しを伺った。
社長でもあり、杜氏でもある。
経営者が酒を造るのはめずらしい。
実際に高嶋酒造でも初めてのことだ。
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経営者と杜氏のどちらもをやるとどうなるか。
冬はほどんど外に出ることなく酒造りに専念。
酒造りが終わると全国の取引先や酒蔵を回る。
製造とマーケティングの両方をみることにより
より深く市場を理解できるし、想いを伝えられる。

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「市場があるように見えて、市場は自分たちで作っていく」

実は髙嶋酒造の日本酒は純米酒しか販売していない。
純米酒は高級酒だ。
普通酒と高級酒の比率は8:2。
高級酒の中でも純米酒さらに少なくなる。

10年前に今の社長に代替わりをし普通酒を造るのをやめていった。

どうしてそんなことをしたのか。
もちろん、”地方酒蔵が生き残るため”でもある。

でももう一つ、地酒の大切な役割があるという。
それは地酒は地元の食が見えるものということだ。

生産者とのつながり。
農とのつながる。

だからこそ突き詰めていくと米だけで作ったお酒になる。

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地元食材・食文化に合う。
それが大事なのだ。

お酒はコミュニケーションツール。
髙嶋酒造のお酒は
“だらだら長く飲める酒、一晩付き合える酒。”
料理を食べながら、そして香りも華やかすぎず
ずっと飲むことができる。
上質なお酒には上質なコミュニケーション。

日本酒を楽しむために必要なこと。

「おいしい、楽しい経験をする。まずはそれが大事。」
と髙嶋さんは言う。

スペックやうんちくではなく“感じる”ことから日本酒をたしなむ。
楽しいことから「違い」に気づき、調べる。

楽しい経験とともにこんな地酒があるんだと知ってほしい。

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≪髙嶋酒造≫

人生を彩る夜

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沼津はバーを選ぶ楽しさがある。
以前にもそう書いたが、逆にどこへ行っていいか分からないとお嘆きの方も多いのではないだろうか?
“もっと気楽に”
そう答えていただいたのはFARAOのマスター、三島卓也さん。
その優しい笑顔に萎縮していた自分も安心感をおぼえた。

三島さんが店をオープンしたのは1986年。
“27~28年前はバーが少なくて、オーセンティックなバーってほとんどなかったですよね。ヴィクトリーさんとフランクさんぐらいで”
オープン当時の状況を教えていただく。
今となっては想像もつかないが当時はまだバーが少なかった。
“自分が一番若かったので先輩方にいろいろ教わって”
当時を懐かしむがごとく三島さんは話を続ける。
“そのうち後輩もついてきて徐々に膨れ上がったんです。そこから沼津、三島、富士といったように広がっていったんです”
なるほど!沼津のバーの歴史も面白い。

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三島さんがオープンに沼津を選んだ理由。
そのひとつが沼津の人々がもつ穏やかさだと言う。
“ゆったりとした人柄的なところは沼津の良さだと思います”
バーは人と人を繋げる場所だ。数多くの出会いがあり、そして別れもある。
つまるところ人生の縮図ともいえる場所だ。
“人が好きというか、人の集まりが好きで”
バーで働くことを選んだ理由を三島さんはこう答える。
ゆったりとした人の集まり、沼津らしさを表した言葉ではないだろうか?

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そんな三島さんの人柄もあってか、FARAOには地元の人も多く集まる。
決して飾らず、普段のまま、日常に溶け込み、人生を彩る。

こここには心温まるお酒と暖かい笑顔に出会える。

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BAR FARAO
沼津市大手町2-7-9 メゾンスルガ1F
電話:055-951-3181