Author Archives: 小松 浩二

家族のあたたかみの中で~つじ写真館~

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沼津銀座に店を構えるつじ写真館。
ここでの商売の歴史は長く、古くは御用邸に炭を納めていたという。
写真館を始めたのはご主人、辻泰男さんの代から。
泰男さんはこれから先、何か手に職をつけなくてはと考え、富山県のネギシ写真館へ修業に出る。
8年半の修行。
ご主人は修行先で奥様と知り合い、技術と共に笑顔が溢れる写真館になるであろうパートナーと生まれ育った商店街に戻ってくる。

“写真屋はお客様に気持ち良くなって帰ってもらうために雰囲気を盛り上げることが大事なんです”

インタビューに答えていただいたのは奥様の辻栄子さん。

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栄子さんはご主人と共に写真館を長年守ってきた。
つじ写真館のお客さんは七五三や入学、卒業などといった記念写真の撮影が多い。
撮影の緊張から硬い表情になりがちなお客さんを和ませ、リラックスした自然な笑顔を引き出すことがいい写真を撮るコツだそうだ。人生の大事な場面を写真という形に残すことに大きなやりがいを感じるとともに責任も感じるという。

“20年後、見直した時に嬉しくなるような写真を撮らなくてはいけないんです”

何年経っても記念写真のなかにはその時の感情や想いが変わらず収められている。
写真の一枚一枚にストーリーがあるんです、栄子さんは写真を見つめながら嬉しそうに語る。

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現在、ご夫婦のほかに3人の娘さんたちも手伝い、家族5人で写真館を切り盛りしている。
家族5人でやっているから5通りの考え方ができる。いざとなったときは家族だから団結できる。
家族経営の強みを栄子さんは語る。

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“手伝ってとか言ったことはないんですけど、自然と集まってきた感じです。やっぱり家族ですね”

家族と言えば忘れてはいけないのがミニブタのさくらである。
さくらが来たのは今から12年前、それ以来つじ写真館のマスコットとしてテレビや新聞など各メディアに露出。
さくらを目当てに訪れるお客さんもいるとのことだ。

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つじ写真館から感じる温かみや居心地の良さは家族が持つ温かみである。
お客さんはまるで家族の一員になったかのように迎えられ、人生の節目を一緒になって祝う。
一枚の写真が物語るストーリーはいつまでも色褪せることはない。

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≪つじ写真館≫
沼津市上土町36
TEL:055-962-1384

ポン菓子のおじさんとして~ポン菓子 ポン吉~

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【2014年の記事です。】

“この仕事を始めてから小学生の友達がいっぱいできました(笑)”

そう語るのは沼津を中心にポン菓子の移動販売を行っているポン吉の大塚国雄さん。
ポン菓子とは米などの穀物に圧力をかけた後、一気に開放することによって膨らませた駄菓子の一種であり、昭和中期頃までは定番のお菓子として子供に人気があった。大塚さんがポン菓子の販売を始めて2年が経つ。

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原料にこだわり、静岡県内産のお米を使い、愛鷹山の伏流水を毎朝汲みに行くという。

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“美味しいと言ってまた来てくれるお客様がいると嬉しいですね。オフィス務めではなかなか味わえない感覚だと思います”

東京や長野で会社勤めをしていた大塚さんが会社を辞め、沼津に引っ越してきた理由はスキューバダイビングをやりたかったからだと言う。
引っ越しの候補地として沖縄もあったが、子供たちが遊びに来るのにのアクセスがいいという理由で沼津を選んだそうだ。

“大瀬があったから思い切って引っ越してきたんです”

スキューバの魅力、大瀬の魅力に惹かれた大塚さん。
定年退職してからでは身体が動かないかもしれない、だったら早めに会社を辞めてもう引っ越してしまおう!
とためらうことなく行動に移した。

その時に出会ったのがポン菓子の移動販売という仕事だった。

知らない土地で知り合いもなく、未経験の仕事を始めることに不安はなかったのだろうか?
“会社に勤めてたときと比べれば収入は不安定かもしれません。でも、食べるには困らないし、なにより楽しいんです”

なかには一日中その作業を見ている熱心な子がいたり、ある時は10人ぐらいの小学生グループの溜り場になったりと、その光景はまさに昔ながらの駄菓子屋ともいえる光景である。

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そんな集会場としての駄菓子屋、ポン菓子のおじさんとしての役割に大塚さんは満足しているという。

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もしも、宝くじが当たったとしてもこの仕事は続けます、大塚さんは嬉しそうに語る。
仕事と趣味、充実した日々を沼津で手に入れた大塚さんの表情は本当に優しい笑顔で溢れている。

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≪ポン菓子 ポン吉≫
販売予定は下記HPをチェック

ポン菓子ポン吉

半島のじかん2014 ~松屋銀座デザインギャラリー1953 ~

半島振興法という法律がある。
この法律は、三方を海に囲まれ、平地に恵まれず、水資源が乏しい等、他の地域に比較して低位にある半島地域について、自立的発展及び地域住民の生活の向上並びに国土の均衡ある発展させる目的とし、国土交通省には半島振興室という部署を設けている。

半島地域の魅力を都市に暮らす人たちにも知ってもらうことを目的とした交流イベント「半島のじかん」を2011年より開催している。
3回目に当たる今回は、先月末から1ヶ月間、国土交通省と日本デザインコミッティーとの共同で、「半島と食」をテーマとした展示やデザインサロントークを松屋銀座で行っている。

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この取材は12月初旬に行われた。
メインは能登と伊豆で撮影、取材がされた。

日本一金目鯛が水揚げされる下田港、日本一天草が生産される土肥の八木沢海岸でところてんをつくる方、西伊豆田子の日本で唯一の塩かつおを製造しているカネサ鰹節商店へ。

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戸田では3ヶ所を取材。
日本唯一の高足がに職人は、駿河湾の魅力を語ってくれた。

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柑橘類の原種タチバナ、戸田は国内最北限となるの自生地。
タチバナも撮影。
この時、収穫された橘は、みなさんでジャムにしていた。

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日本一の塩を目指す戸田塩へも。
戸田塩の薦田会長とデザイナーさん。
展示に合わせリニューアルする戸田塩のパッケージの打ち合わせも。

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そして海から離れ伊豆の中央へ。
わさび田へ行き、カメラマン、デザイナー、コピーライターの方は生産者と話をしながら半島の表現方法のイメージを膨らましていた。

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伊豆の山の木を間伐し器などをつくる木工作家、有城さんの所へも。

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伊豆はこの取材の3日間、富士山がとてもきれいな時だった。

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景色もとてもよく、色鮮やかな伊豆日和。

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海と山が近く、交通が不便と言われるがその地域で資源を活かし食と携わる人々。

今まで都市が中心でそこから離れれば離れるほど情報もない利便性、田舎は価値をがないという相対的な関係だったのを見直し、価値を掘り起して評価し直したい。
そのテーマのもと取材がされていった。

“その場所でしか撮れないモノの存在感、その場の気、つく手の趣き、それらの内包されたものを撮って、現場で感じたリアルな状況から写真で半島を切り取った”
カメラマンの白井亮さんは言う。
最初はシチュエーションが伝わるように撮っていたが、モノ自体にフォーカスし撮っていったそうだ。

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《展示会場にて白井さん》

展示会場に行くと、いきいきとした半島の食が切り取られていた。

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アートディレクションは、日本デザインセンターの大黒大悟さん。
撮影した場所など具体的な言葉による説明はされていなかった。
ビジュアルでも特定の地域らしさのイメージを表していない。
あの美しかった富士山も、今回の展示では登場していない。

半島の普遍的価値を表現されて、地域らしさというより日本の文化が見えてくる。

入口に冊子が置いてあり、開いてみると一番はじめのページは戸田塩のみなさんだった。

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デザイナーの大黒さんは、戸田塩をつくる小屋に入り戸を開けた時、何か神々しいものを感じたそうだ。
その場にあった、とてもいい“気”を伝えられたらと、取材の時に言っていた。

こうして、会場では半島の何気ない日常、何気ない文化を多くの方に知って頂いている。

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出来上がった冊子を伊豆の取材先に持って行った。

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じっくりと自分たちの光景を確認し笑顔で
「素晴らしいですね」
と。

戸田塩のパッケージも大黒さんによってデザインされた。
戸田塩のとてもきれいな白を活かすデザイン。

菰田さんは、これからの活動にまた励みができたそうだ。

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《前のパッケージと比べる菰田さん》

会場の銀座松屋ではこの展示の期間、戸田塩を含め、全国の半島の食も購入する事ができる。

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デザイナーによって切り取られた“半島”にはまだまだ我々が気づいていない魅力的なものが多くあった。
我々地方の者も地域の食を「地産地消」という言葉だけで終わらせず、他の地域も知り客観的に自分の地域の食文化を見つめ直したいものだ。

【半島の台所 開催日】   
 <展示>
  平成26年1月29日(水)~2月25日(火) (2月18日(火)は18:30まで)
  期間中「半島と食」をテーマとした展示。

 <デザインサロントーク>
  クリエイターによる「半島の台所」制作エピソード、半島の食で地域活性化をはかる方々の話、生産者とクリエイターが語る半島の食のデザイン等について、下記日時にトークセッション。
  
  [ テーマ ] 半島の食をめぐるチャレンジ 
  [ 日 時 ] 平成26年2月15 日(土) 15:30~16:30
  [ 出 演 ] 中山 幹生氏 : 東京農業大学農山村支援センター学術研究員
          辻 悦子氏 : 企業組合でる・そーれ理事(津軽地域)
          豊田 玲子氏 : NPO法人風土計画代表理事(丹後地域)
          畦地 和也氏 : 黒潮町役場職員(幡多地域)

  [ テーマ ] 『半島のじかん2014 半島の台所』クリエイターがとらえた半島 
  [ 日 時 ] 平成26年2月15 日(土) 17:00~18:00
  [ 出 演 ] 大黒 大悟氏 : 「半島のじかん2014」グラフィックデザイナー
          是方 法光氏 : 「半島のじかん2014」コピーライター
          白井 亮氏 : 「半島のじかん2014」フォトグラファー
    
※ 入場は無料、申し込み不要。
   デザインサロントークは座席の数に限りあり(20名程度、先着順)。

【開催場所】
 松屋銀座7階・デザインギャラリー1953  
  http://designcommittee.jp/
 〒104-8130東京都中央区銀座3-6-1
    
【主催】 
 国土交通省、日本デザインコミッティー

【後援】 
 半島地域振興対策協議会、半島地域振興対策議会議長連絡協議会、全国半島振興市町村協議会
    

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街から港へ自転車旅

東京などから16名のグループが沼津に来られ自然と街を満喫するツアーが行われた。
『日本のいいところを、山に教わる2日間』をコンセプトにし、アウトドア&ローカルカルチャーが体験できるloca-rise mountain experienceという、東京の自由大学で「東京・日帰り登山ライフ」を主宰する大内征さんの企画。

今回は伊豆の三山を縦走。
二日目に山を登り、その前に三島や沼津を楽しむ日程。
一日目、新幹線を降り三島のカフェ ククルクをベースに街や三嶋大社を散歩、そして沼津に移動し狩野川でカヤック体験、商店・沼津港自転車ツアーが行われた。

Lo.nで沼津の川や街の説明から始まった。
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今回の自転車ツアーは、上土商店街から沼津港まで約1時間半のコース。
道のりは、さんさん通りという県道159号沼津港線を一直線に南下。
沼津の街は平らな所が多いので自転車でとても走りやすい。
市がサービスを提供しているぬま輪を利用した。

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沼津に観光に来ると、沼津港しか行かない方が多いが実は街中が面白い。
距離的に徒歩や車より自転車が最適だ。

まずは陶器屋の‘いせう’へ。
明治3年に創業、魚町というエリアは狩野川沿いに問屋が多くあった。
陸路と船で交易する場であった。
このいせうも陶器の卸問屋として営みをしていた。
ご主人から街の歴史を聞きながら、器のお話を伺う。

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様々な陶器が並ぶ。
富士山柄も多いのでお土産にもおすすめだ。
普段使いのリーズナブルのものから希少価値のある陶器まで。

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次に2軒隣のTHE BULE WATERへ。
沼津のライフスタイルを提案するお店。
狩野川を見ながらお茶をするのもいい。

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自転車は、観光MAPには載っていないフツーの沼津を進む。
さんさん通りから、ちょっとそれて、かつて鉄道が走っていた蛇松(じゃまつ)線跡へ。
ここには県内初の官営鉄道で、沼津港と沼津駅をつなぎ、資材の運搬や水産物を運ぶ貨物専用線だった。

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そのソバにある浅宮商店
竹を産地から調達し植木屋などへ卸す会社だ。
竹の利用方法も教えてくれる。
沼津垣、竹の根っこを使った作品、釣竿などなどのお話を伺う。

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竹というモノは日本、アジアの人々にとって無くてはならないものだと改めて知る。

亀の甲羅の形をした竹が生えている場所もここにはあった。

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最後にご主人が、竹を切りながらレクチャー。
『浅宮カット』
独自の切り方のようだ。

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海のかおりがする狩野川沿いを進む。
沼津港の裏通りを走ると、産業や生活に触れてからこの港を見ると、単なる観光地という顔だけでなく、地域の食の台所的な機能を知り、この場所の面白味が増す。

小腹が減った時には
焼き牡蠣、焼きホタテ、揚げはんぺん、海産串などをつまむのもおすすめ。
干物屋も多いので、試食をしながら好みのメーカーを探しお取り寄せするのもありかもしれない。

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大型展望水門びゅうおにのぼり、富士山と駿河湾を見渡すのもおすすめだ。

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ぬま輪は3時間まで借りられる。
沼津の街と港の自転車旅は2時間半のコースが丁度いい。
時間があれば芹沢光治良記念館
で沼津に関わる文学を知ったり、千本浜で富士山に向かって自転車を走らせるのも爽快だ。

さらに今回のグループは、街中の商店街をまわり日本初のアーケード商店街でノスタルジックワールドを見たり、上土商店街の洋服屋、洋菓子屋、八百屋、おもちゃ屋などを楽しんだ。

Lot.nを起点とした沼津ツアー。
スタッフに相談すると、自然と街と食が楽しめる地元目線のおすすめコースを教えてくれる。

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≪ぬま輪≫
無料のレンタル自転車貸し出しサービス。
ホテルや施設などで貸し出しをしており約3時間使用ができる。
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kankou/asobu/cycle/index.htm

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つまみ食いから始まったオイルサバディン~かねはち~

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“サバ節の加工工程で他の食べ方ができるんじゃないかと思ったのがオイルサバディンの始まりです”

オイルサバディンを手掛けるかねはちの専務取締役、小松正人さんはその起源を説明してくれる。
サバ節を作る工程を知る社長のつまみ食いからオイルサバディンは始まった。
幼少の頃から工場で燻製して乾燥した出来たてのサバを食べてきた社長、沼津のサバを世に送り出したいという想いが食文化が変わっていく現在、新しいサバの食べ方として商品化したのであった。

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沼津港の水揚げのおおよそ8割を占めるサバ。
そして鮮魚として飲食店や家庭の食卓へと届けられる以外に加工品としてのサバ節がある。
日本一の生産量のサバ節であるが、消費が落ち込み生産量も減っている。
伝統的なサバ節のノウハウを活かし、燻製の途中でオリーブオイルに漬け込んだ。
伝統の技術を活かしながら新しい商品を生み出し、消費者に受け入れられることが小松さんは純粋に嬉しいという。

“かねはちはサバが一番の取扱量でサバのおかげでここまでやってきました。サバディンがここまで受け入れられるというのは本当にありがたいことです”

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前職は自動車関連の会社でプロジェクトマネージャーを務めていたという小松さん。
かねはちに入社したのは今から6~7年前。
それから毎朝のように魚市場に行き、自分の眼で魚を見極めている。
早起きには苦労したが、鮮度が重要となる仲買人の仕事に魅力を感じているという。

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もともと沼津港にあがる鮮魚の仲買を主な業務としているかねはち。
かねはちとしての最初の加工商品がオイルサバディンであった。
そんなオイルサバディンのおすすめの食べ方を小松さんに訊いた。

“個人的にはマヨネーズとあえてサンドイッチにしたり、おにぎりにしたり、シンプルな食べ方が好きですね。癖のあるお酒、辛口の日本酒にも合うのでバーに置いていただいたりもしています”

また、こだわりの物産を置いている都内のセレクトショップでも好評とのこと。
ただのサバ缶ではなく、オイルサーディンでもない。
沼津のサバ節から生まれたそのユニークな商品。
自宅用として、またお土産としても人気の商品だけに是非一度試していただきたい。

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≪有限会社かねはち≫
沼津市蛇松町18-4
TEL:055-952-0001
http://oilsabadines.com/

眼鏡と共に127年~ヤシロメガネ~

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メガネの販売を始めて127年、上土商店街に店を構えたのが明治20年という老舗ヤシロメガネ。
江戸時代は桶屋だったというから商店としてのその長い歴史に驚く。
現在、店を引き継いでいるのは4代目となる八代泉さん。
もともとは東京の百貨店に勤めていた八代さん、メガネのことは何もわからなかったそうだ。

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“東京から沼津に戻ってきたとき、父と兄がいろいろと教えてくれました。あとは眼鏡の学校に通いました。やっぱり専門的にやるのであれば学校に行ったほうがいいかなと思いまして”

専門学校で2年間学んだ八代さんは日本眼鏡技術者協会の最上級資格であるSSS級認定眼鏡士に全国3人目の合格者として登録される。
メガネの専門職として学んだ知識や経験がメガネに対する絶対的な自信に繋がる。
そんな自信がトレードマークともなっている髪型に表れる。
自らが前面に出て注目を浴びることにより、仕事に対して責任感が湧くそうだ。

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“この髪型にして10年経つんですけど、目立つでしょ?だから、いい加減な仕事はできないんです。あとはお客様が緊張しないようにというのもあるんです”

初めてヤシロメガネを訪れる方が緊張しないようにすることは正確な視力を測定するうえでも必要なことだと八代さんは言う。普段のリラックスした状態でないと最適なメガネを作ることは難しいとのことだ。
全ては良いメガネを作るために。ヤシロメガネにはそんな想いが詰まっている。

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常用メガネの寿命は5~7年ともいわれる。
その都度、適切な視力測定、使用目的やライフスタイルにあったレンズ選定、フレーム選び、フィッティング調整など専門的で複雑な技術が必要となる。
だからこそ、メガネ作りは確かな技術を持つ信頼できるプロに任せたい。

“お客様とは長い付き合いになります。自分が生まれる前から通っていただいている方もいます。メガネとは、その方にとって人生の一部なんです”

メガネのことなら任せてください、笑顔でそう語る八代さんのプロとしての責任感、メガネに対する情熱を感じずにはいられない。

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≪ヤシロメガネ≫
沼津市上土町44
TEL:055-962-0896
http://846.co.jp/index.htm

歌人が愛した景色~沼津市若山牧水記念館~

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若山牧水は明治18年、宮崎県に生まれる。
旅を愛し全国を旅した牧水が沼津の自然、特に千本松原の景観に魅せられ一家で移住したのは大正9年。
そんな牧水の足跡と業績を貴重な資料を通じて知ることができるのが、沼津市若山牧水記念館である。

“この記念館はもともとは募金でできたもの。言ってみれば市民のものなんです”

記念館を運営する公益社団法人沼津牧水会の理事長、林茂樹さんは語る。

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昭和56年、牧水が最も愛した千本松原に記念館をと募金活動が始まる。
その募金により集められた約6千万円の寄附金が沼津市に納められ、昭和62年に建設されたこの記念館はまさに市民の手によって作られたものだ。
それは歌人としての功績を讃えると共に千本松原の保護に尽力した牧水を忘れないためのものである。

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“この記念館がここにあるということは非常に意味があり、責任があることなんです”

牧水が千本松原に隣接する土地に住居を構えてからしばらく後に静岡県による千本松原の松の一部を伐採する計画が起きた。
牧水はこれに反対して、『沼津千本松原』と題する文を新聞に投稿。
松の伐採に反対する市民大会では熱弁をふるうなど伐採反対運動の先頭に立つ。
その結果、県は計画を断念することとなった。
これは自然保護運動のさきがけともいうべき出来事であり、郷土の誇れる歴史である。

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林さんに展示室の資料を説明していただきながら館内を一通りまわった後、記念館の裏手から千本浜にでることとした。千本浜に下りてみるとそこからは松原と愛鷹山、富士山という景色が見える。

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“千本浜にでると牧水の心に触れたような気分になるんです。この景色というのは全国に誇れる景色だと思います”

都会の喧騒を離れ、沼津の自然のなかで生きていくことを決めた牧水。
牧水が愛し、歌に詠んだ景色は今も変わらずそこにあった。
牧水が市民と共に守った千本松原、その一角に市民の力で建てた記念館。
ここには牧水と市民の深い繋がりが確かにある。

≪沼津市若山牧水記念館≫
沼津市千本郷林1907-11
TEL:055-962-0424
営業時間:9:00~17:00 (入館の受付は16:30まで)
休館日:毎週月曜日 (祝日に当るときはその翌日)
料 金:大人200円 小人100円 (小・中学生)
http://web.thn.jp/bokusui/index.htm

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竹と共に暮らす~浅宮商店~

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“私は3代目なんですけど、まだ140年位しか経ってないです(笑)”

笑顔でそう語ってくれたのは沼津竹材センター浅宮商店の浅宮義和さん。
竹の専門店としてその歴史は古い。
当時は人の暮らしも現在とは異なり、竹は生活の中で多く用いられていた。
海からの風が強い沼津、その潮風から家や農作物など人々の生活を守った沼津垣もそのひとつといえる。
我入道や千本など海辺の町には多くの沼津垣があり、それを作る職人も多く住んでいた。
そんな職人に材料となる竹を卸していたのが浅宮さんだ。

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“沼津垣には箱根の篠竹を使うんです。竹は潮に強く加工もしやすいため、海辺の町の垣根としては都合がいいんです”

実用的にも景観的にも優れている沼津垣、その技術を持つ職人さんも少なくなった。
竹自体の需要も減った。一昔前はザルやホウキなど日常のなかに竹でできたものが多く存在した。
竹はもっと身近なものだったのだ。幼少期から家の仕事を手伝ってきた浅宮さんにとって竹は人生そのものであった。それを表すかのように浅宮商店には3階建てからなる竹のショールームがある。
ショールームの中には多種多様な竹製品、竹細工、美術品が所狭しと並ぶ。
ひとつひとつ嬉しそうに説明を加える浅宮さん、竹について話すことが本当に楽しいそうだ。

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“日本というか東洋の文化にとって竹はかけがえの無いものなんです”

文化を守るという強い気持ちが店を守り続ける姿勢となる。
より多くの人に竹に親しんで欲しい、そんな想いがショールームには詰まっている。
また、伝統的な沼津垣の技術を絶やさないよう、現在は4代目となる浅宮浩典さんが技術を継承している。
家族で守る文化や技術、そこからは沼津という土地の風土と共に生きた人々の暮らしが見えてくる。
竹に囲まれた店内で浅宮さんは振り返る。

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“竹屋の息子として当然店を継ぐように育てられましたからね。本当に竹に魅せられた人生です”

竹だけが並ぶショールームには浅宮さんの人生と情熱が詰まっている。

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≪沼津竹材センター浅宮商店≫
沼津市港湾蛇松町9
TEL:055-962-1878

山の麓にある倉庫

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鷲頭山の麓に3年間眠っている倉庫があると聞き、訪ねてみた。
静浦漁協から山側へ一歩入ったこのエリア。
住宅街のなかにチラホラと倉庫や工場もある。
鷲頭山の入り口をめざして進むとわりとすぐに左手に倉庫発見。
倉庫の裏手には静浦中学校が見える距離。

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角地。長方形の長辺にシャッター6枚。その前には駐車場。
荷物の運び出しに便利な立地である。
ウォークインクローゼットならぬドライブインガレッジ!
反対側からはこんな全景。

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倉庫の隣に二階へ上る階段がある。さっそく中へ入ってみた。

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もともと事務所使用をしていた場所を持ち主がリノベーションした。
変形の二間。入口のあるこの部屋と、左手にリビング的部屋。

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使用感の少ないガスキッチン、給湯器、シンクがそろう。
エアコンもある。

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トイレも水洗の洋式。綺麗だし陽の光が入る。

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実はこの事務所部分、倉庫内に作られた高見の部屋だった。
3年前に板金屋さんが退室してから持ち主の遊び心で。。。

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どど~んと、大・階・段!
(注)決して階段落ちごっことかしないでください

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なんとこの部屋から直接倉庫内に下りていける。
手すりにつかまりながらそろりそろりと下へ。

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程よい広さと十分な天井高。

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逆側からはこんな感じ。
前の板金屋さん制作の道具棚もそのまま。木製。便利!!

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恒例の窓ガラスチェック!ななんと薔薇柄!(驚)
窓には格子もあるので防犯も大丈夫そう。

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外に出ると別棟に危険物取扱用の小屋が!
鉄の扉もいい味出てます。中は現在物置になっている。
使用時には撤去してくれるとのこと。

オーナーより、自由な使い方をして欲しいとのこと。

そうですね。。。私だったらまずシャワールームとドミトリー型寝室を
一階に作って複合アトリエにして。。。
いわゆるシェアアトリエ!ここなら自由に大きな物の製作ができそうだ。
あとは。。。ポールダンスとかエアリアルとか高さの必要なスタジオ!
あとは。。。自然光活かしてパネル型のハウススタジオとか。。。
あとは。。。あとは。。。

キリがないのでこの辺で。
とまぁ、いろんな妄想の膨らむ物件だ。

【物件情報】
住所 : 沼津市志下
敷地面積 : 373.55㎡
建物面積 : 144.73㎡
倉庫鉄骨造スレート葺2階建て
敷:礼  リノベーション内容によってご相談
 家賃  :10万円
取扱い不動産屋 大橋土地(株)

問い合わせ* 090-5626-1527 (小松正人)