「フェンシング」と聞くと、サッカーや野球などに比べ縁遠いスポーツだと感じる方も多いのでは?意外と知られていないものの、沼津はフェンシングを始める機会に恵まれたまちなのだという。
フェンシングをより身近なものにし、それを通じて沼津を元気にしようと尽力する人がいる。
増田和正さんだ。
「フェンシング」と聞くと、サッカーや野球などに比べ縁遠いスポーツだと感じる方も多いのでは?意外と知られていないものの、沼津はフェンシングを始める機会に恵まれたまちなのだという。
フェンシングをより身近なものにし、それを通じて沼津を元気にしようと尽力する人がいる。
増田和正さんだ。
【2014年の記事です。現在は記事のサービスを施設で提供しておりません】
千本浜沿いを歩くと海岸のすぐそばにSushi dining 志摩津がある。
このお店は海を見ながら寿司を食べられる所として、地元はもちろん県外からの方からも支持をされている。
店主の島津英希さんは、東京で修業をされ平成元年、22歳の時に沼津に戻り街なかで20席のほどの寿司屋を始めた。
そして魅力ある海岸線沿いに海を眺めるお店が他にないことから、海沿いにSushi diningを創ることにした。
今から17年前のことだ。
水が見え、穏やかな気持ちになり、人を和ませることができる場所。
その当時、国内の個人旅行がより注目されていた。
旅する方々に沼津の環境を活かした場所で食を通じて、この地域を満足をしてもらえる場所にしたかったそうだ。
毎日、海を見ているとこの地域の気候の良さを改めて感じる。
天候のおかげでもたらせる恵まれた食材。
寿司と新鮮な素材を生かした滋味深い料理。
そんな料理を沼津自慢フェスタ・THIS IS NUMAZUのセンターテーブル3日目でも味わうことができる。
今回このイベントに参加するにあたり、自分たちだけがTHIS IS NUMAZUではないと島津さんは語られた。
『沼津=寿司』
このイメージををつくった諸先輩方。
双葉寿司さんの先代は街中で屋台で寿司屋を始められ、港に店舗を構えてお客様に支持をされていった。
他にも多くの先輩方が人を育て、そしてお店が集まり寿司は沼津の文化になっていく。
島津さんは、お客さまを満足させ続けている先輩方に敬意を抱いていた。
「では自分たちの世代ができることってなんなのか?
文化をつなぐこと。
そして若い人たちにも夢を持ってもらいたい。」
普段からお客さまと接するときは沼津市民代表として話すという島津さん。
恵まれた環境に誇りを持ち、地域に来て頂いた方におもてなしを持って接すること。
普段からやられていることの延長上にこのTHIS IS NUMAZUはある。
そんな沼津の先輩方から引き継がれた文化がProud Numazuとなりその想いが集まり沼津自慢フェスタは創られていく。
Sushi dining 志摩津
〒410-0849 静岡県沼津市千本郷林1907-155
TEL.055-963-6760
[定休日] 月曜日
http://www.sushishimazu.com/
今年の沼津自慢フェスタでは、多くの方の協力がある。
高校生も参加。
そんな高校生の昨年の活躍をレポートする。
特別支援学校の皆さんは地域のために何かをしたいと申し出て、先生と生徒が裏方となってイベントを支えてくれた。
川に並べた干物の箱を使ったスタンディングテーブルの設置、
センターテーブルでは飛龍高校の食文化コースに通う2,3年生20名が
サービスボランティアとして参加。
センターテーブルは3日間かわるがわるシェフたちが腕によりをかけて料理を作った。
そしてお客様との懸け橋として高校生たちがサービスを。
高校生たちはまず初めに説明を聞き、テーブルセッティングに入る。
周りの方々に指導をしてもらいながら真剣に力を合わせて整えていく。
いつの間にか高校生たちは自分たちでリーダーを決め、
指示仕合い今から始まるセンターテーブルに向けて集中していく。
その様子は緊張感と期待に満ち溢れていた。
そして本番。
今回から温かいものも出したいとオープンキッチンを導入。
それに合わせて料理を出していく。
料理の説明やお皿を下げたり。
緊張しながらもシェフやお店の方と一丸となってサービスをし成功へ導いた。
20時になると高校生の業務は終了。
3日とも全員前にならびお客様へ挨拶。
会場ではその一生懸命な姿に大きな拍手が沸き起こった。
これから未来にはばたく高校生とシェフが固い握手を交わし、
これからもがんばってと激励を受けた。
この姿に涙する人も。
そんな素敵なイベント終え、反省会が行われるということで参加させてもらった。
お菓子とジュースをお供になごやかに開催された。
“とても良い機会でした”
という声が多く聞けた。
“地元に貢献できたことがよかったです”
これからはばたく高校生たちが
また沼津にもどって何か素敵なことを起こしてくれるようなそんな気がした。
地元でみるかっこいい大人。
その中で
“料理についてうまく伝えられなかったのが心残り”
など反省点もちらほら。
ここで学ぶこと。
学校だけでは見えない“世界”
いいことも悪いことも糧になる。
“シェフはたくさんのひとの料理を作っている。
だけどお客さんにとっては特別な1枚。
それをちゃんとシェフはわかっていて想いを込めて作っているのを感じました”
など、一皿にかける料理人の想いも感じたようだ。
高校生たちの満足に満ち溢れた笑顔。
敏感に、そして純粋にこのイベントを通じて学んでいた。
活躍する大人の姿、それは言葉よりももっと力強く胸に響いたのではないだろうか。
もし、この機会がなければこの時期に見ることができない
背伸びをして見る大人の世界。
これから進学や就職をひかえた高校生たちへのギフトになったのではないだろうか。
その箱を開けるのはそれぞれ。
来年かもしれないし、10年後かもしれない。
でもいつかこの経験が彼らにとってかけがえのないものになるだろう。
そして、大人たちにとっても
自分たちが若かった頃を思い出し初心に帰れた場所になったのではないだろうか。
高校生の若いエネルギーに満ちた力がこのイベントに彩りを与えてくれた。
うなぎの名店、沼津うなよしで餃子が食べられる。
しかも沼津の特産“鯵”を使った餃子。
不思議だと思うが
半年前にデビューした“あじ餃子”はうなよしの代表するメニューの一つとなった。
そもそもなぜうなぎ屋で餃子なのだろうか。
沼津うなよしの大将、名古谷さんにお話しを聞いた。
「沼津の特産を活かせないか。と思ったのがきっかけです。
うなぎにはこだわらずにね。」
静岡県飲食業衛生同業組合の中ではじまったプロジェクト。
かつてアジによっても栄えた沼津。
そのアジに注目した。
ひものというイメージを一変してまずはつみれ団子をつくった。
さすがはプロ。とてもおいしくでき
ピーマンやしいたけに詰めて焼いたり、ハンバーグにしたり
いろいろ試行錯誤をしたうえにたどり着いたのが“餃子”だった。
なぜ”餃子”にたどり着いたのか。
「味はもちろん、子供からお年寄りまで人気が高いのが餃子。
だけどお昼に食べるにはちょっと・・・ためらってしまうのが餃子。
だからお昼にも食べれる餃子にこだわりました。
私自身も餃子が大好きなのに昼に食べられないのをなんとかできないかとおもっていたんだ。」
と古谷さん。このあじ餃子を作ることで自身もより楽しめるようになった。
ニンニクなしでもしっかりとした満足感と、魚臭さがなく肉のようなジューシー感。
ヘルシーに仕上げる野菜。どれをとっても研究し尽くされている。
さらに、もうひとつのこだわりが“タレをつけないでも食べられる”ことだ。
ひとつひとつ手作りで丁寧に作られている。
地域と経験をいいバランスで。
あじぎょんには地域を超えた良さが詰まっている。
ネーミングを募集したり、
イラストを従業員に書いてもらったりと
周りを巻き込んでできたこの餃子。
静岡県飲食業衛生同業組合に加盟している店舗で出されている。
沼津うなよしでつくられた餃子は沼津のいろんなところで食べられている。
加盟しているスナックでも人気メニュー。
アレンジバリエーションの多い餃子は冬は鍋に入れたりと
各々の店で工夫されているものおもしろい。
地域にあるお店としてジャンルを超えた活動。
一流のお店だからできること、
組合での協力や盛り上げ力。
今回、このあじ餃子のあじぎょんは
沼津自慢フェスタ2013に登場した。
さらに今回はうなぎライスボールフライも。
沼津うなよし秘伝のたれがしみ込んだおにぎりにはしっかりとウナギがはいっており、
崩れないようにパン粉をまぶして揚げてある。
はじめはコロッケのサクサク感、そしてあとからうな丼を食べているような
満腹メニューである。
自慢できるものを提供したい。
だからこのためにいろいろな努力をしている。
うなぎ屋として街に対してできること。
それを全力でやっている。
ひと手間を惜しまない、街に対しての想いが伝わってきた。
「沼津で安心して食べられる店を目指していきたい」
とのこと。
きれいにしてある厨房からは見えないところからもまごごろが伝わる。
沼津うなよし
AM11:00~2:30 PM4:30~8:30 火曜日休み
〒410-0822
下香貫樋ノ口1712-3
tel:055-931-2131
白隠正宗を造る高嶋酒造は
原駅からほど近く
住宅の間にひっそりと酒蔵を構える。
蔵の横には酒で使用している“水”をくむことができ
地元の人がくる。
あまりに自然な光景にほっとする。
今回、髙嶋酒造代表の髙嶋さんにお話しを伺った。
社長でもあり、杜氏でもある。
経営者が酒を造るのはめずらしい。
実際に高嶋酒造でも初めてのことだ。
経営者と杜氏のどちらもをやるとどうなるか。
冬はほどんど外に出ることなく酒造りに専念。
酒造りが終わると全国の取引先や酒蔵を回る。
製造とマーケティングの両方をみることにより
より深く市場を理解できるし、想いを伝えられる。
「市場があるように見えて、市場は自分たちで作っていく」
実は髙嶋酒造の日本酒は純米酒しか販売していない。
純米酒は高級酒だ。
普通酒と高級酒の比率は8:2。
高級酒の中でも純米酒さらに少なくなる。
10年前に今の社長に代替わりをし普通酒を造るのをやめていった。
どうしてそんなことをしたのか。
もちろん、”地方酒蔵が生き残るため”でもある。
でももう一つ、地酒の大切な役割があるという。
それは地酒は地元の食が見えるものということだ。
生産者とのつながり。
農とのつながる。
だからこそ突き詰めていくと米だけで作ったお酒になる。
地元食材・食文化に合う。
それが大事なのだ。
お酒はコミュニケーションツール。
髙嶋酒造のお酒は
“だらだら長く飲める酒、一晩付き合える酒。”
料理を食べながら、そして香りも華やかすぎず
ずっと飲むことができる。
上質なお酒には上質なコミュニケーション。
日本酒を楽しむために必要なこと。
「おいしい、楽しい経験をする。まずはそれが大事。」
と髙嶋さんは言う。
スペックやうんちくではなく“感じる”ことから日本酒をたしなむ。
楽しいことから「違い」に気づき、調べる。
楽しい経験とともにこんな地酒があるんだと知ってほしい。
沼津はバーを選ぶ楽しさがある。
以前にもそう書いたが、逆にどこへ行っていいか分からないとお嘆きの方も多いのではないだろうか?
“もっと気楽に”
そう答えていただいたのはFARAOのマスター、三島卓也さん。
その優しい笑顔に萎縮していた自分も安心感をおぼえた。
三島さんが店をオープンしたのは1986年。
“27~28年前はバーが少なくて、オーセンティックなバーってほとんどなかったですよね。ヴィクトリーさんとフランクさんぐらいで”
オープン当時の状況を教えていただく。
今となっては想像もつかないが当時はまだバーが少なかった。
“自分が一番若かったので先輩方にいろいろ教わって”
当時を懐かしむがごとく三島さんは話を続ける。
“そのうち後輩もついてきて徐々に膨れ上がったんです。そこから沼津、三島、富士といったように広がっていったんです”
なるほど!沼津のバーの歴史も面白い。
三島さんがオープンに沼津を選んだ理由。
そのひとつが沼津の人々がもつ穏やかさだと言う。
“ゆったりとした人柄的なところは沼津の良さだと思います”
バーは人と人を繋げる場所だ。数多くの出会いがあり、そして別れもある。
つまるところ人生の縮図ともいえる場所だ。
“人が好きというか、人の集まりが好きで”
バーで働くことを選んだ理由を三島さんはこう答える。
ゆったりとした人の集まり、沼津らしさを表した言葉ではないだろうか?
そんな三島さんの人柄もあってか、FARAOには地元の人も多く集まる。
決して飾らず、普段のまま、日常に溶け込み、人生を彩る。
こここには心温まるお酒と暖かい笑顔に出会える。
BAR FARAO
沼津市大手町2-7-9 メゾンスルガ1F
電話:055-951-3181
“忙しかったんですけど気持ちいい仕事ができました。改めて見直したという人もいたり、反響の大きさにびっくりしましたね”
昨年の沼津自慢フェスタの感想をGATO BARの金子忠裕さんは語る。
干物の空箱で作られたバーカウンター、背面には“THIS IS NUMAZU”の文字。
その前に整然と並ぶバーテンダー達。
ベテランから若手まで勢ぞろいしたメンバー、その組み合わせに驚いた方もいただろう。
“沼津の人たちに見せつけてやろうと思って”
その意気込みから沼津の“バー文化”を感じた瞬間だった。
バーはその街の文化度を測る目安だ。
その街にどんなバーがあり、どんな人々が集まり、どんな使い方をしているのか?
バーをみれば街がわかる。
“バーテンダーは街のコンシェルジュです。そのためには私たちがまず沼津のことを知らなくてはいけない”
バーテンダーの役割について金子さんは説明する。
“沼津再発見の案内役をバーテンダーが担えたらいい、沼津はポテンシャルをもっているんだから”
日々のお店のことと共に金子さんの視線は自然と若手バーテンダーへと向く。
“自慢フェスタのような場所は若い人たちにとっていい経験。シンプルな動きを覚えてほしいですね”
日本バーテンダー協会の沼津支部長を務める金子さんは、ベテランと若手を繋ぐパイプ役も務める。
沼津のバー文化、その根本は選ぶ楽しさである。
オーセンティックなバーからカジュアルなバーまで、その幅広さが受け皿となり、多様性が文化となる。
大人たちが笑顔で集まれる場所、ゆるやかに流れる時間。
多くの方に沼津のバーを楽しんでいただきたい。
GATO BAR
沼津市大手町2-3-1 Wiseビル1F
電話:055-963-2379
沼津のとあるBarを訪ねて沼津駅から10分ほど歩き大岡地区の住宅地に入っていく。
そこに一軒の家がある。
以前は外車を売っているお店の事務所だったところ。
中に入ってみると
アメリカンスタイルな店内。
カウンターとテーブル席がある。
奥にはDJブースも。
開店前。オーナーの金刺さんは快く出迎えてくれた。
ラジオステーションと名付けられたバーは開店してから19年経つ。
オーセンティックなバーではなく
アンダーグランドなバー。
アンダーグランドといっても
クオリティーは約束されている。
ただ、いい意味で悪いヤツというか個性が強く
オーナーのスタイルを全面に感じられる。
そんなバーをアンダーグラウンドと金刺さんは呼ぶ。
たとえば、音楽通だったり、釣りのことをよく知っていたり。
金刺さんはディスコなどがどんどんなくなっていく中で
音楽を聴ける場所を作りたい。そこにはお酒もほしい。
そういう思いからバーをやることにした。
さらにいろんな近辺情報をつたえたいとういうことで
名前は「ラジオステーション」とした。
ちょっとラフなところで勉強してオーセンティックなバーにいくのもよい。
そんなきっかけにもなるバー。
「バーをデートコースで使い分けていく感覚。
“今日はオーセンティックに。
今日はちょっとラフに。”
なんてファッションのようにバーを使わけてほしい」
と金刺さんは言う。
この感覚、かつてバーで出会った先輩たちに教わったそう。
「日によって、週によってバーを選んでもらって
その選択肢であり続けられるようなお店でありたい」
そして、そこにたまたま居合わせた人とのコミュニケーションが生まれる。
ふと気付けば隣のお客さんとも合流なんてことも。
その中ですっとほかのお客さんに目を配る。
バーテンダーは絶妙なバランスで
お店の空気を作り出す。その安心感もラジオステーションにはある。
オシャレをするようにバーを選ぶことをスタイルとする金指さん、
「いろんなバーに顔を出してほしい」
その言葉のとおり、自分のお店以外にもここがいいよと何件も話してくれた。
バーテンダーによって、同じカクテルでも味が違う。
一日一日ライブのような感覚で
その時しか味わえない時間を過ごせる場所。
一期一会にプラスα。
ちょっとラフなアンダーグラウンドだからこそ。
≪ラジオステーション≫
静岡県 沼津市大岡1705-11
定休日:火曜日
tel:055-951-6338
駿河湾では古くから底引き網(トロール)漁が行われ、
沼津港や戸田港にはトロール漁で獲れた深海魚が多く水揚げされている。
この深海魚を活かそうと誕生したのがぬまづトロフィッシュバーガーだ。
その定義はシンプルで、沼津で水揚げされた深海魚を使い、バーガー形式で食べること。
その中でも人気なのがバンデロールの“のっぽパン”を使ったトロフィッシュバーガーだ。
静岡県東部にお住まいの方はのっぽパンといえばすぐにキリンのイラストが頭に浮かぶだろう。
ある年代の人には特別な想いを持つ方もいるのではないだろうか。
なぜなら、15時のおやつにのっぽパンと言えばご褒美だったからだ。
そこにはノスタルジックな思い出がある。
“三島なら三島コロッケ、富士宮なら富士宮やきそばがあったのに対して沼津は何もなかったんですよ”
トロフィッシュバーガーの開発を手掛けたバンデロールの佐野五男さんは言う。
“たまたま戸田の深海魚を使ったトロはんぺんを紹介していただいて、そのはんぺんを挟んだらどうかと思ったんです。のっぽパンと戸田のトロはんぺんを組み合わせてみようかと”
もともと漁師の家庭料理として食されていたトロはんぺん。
それを細長いのっぽパンに合うように加工したのは戸田のツツミ水産だ。
“僕ら深海魚のことはぜんぜんわからないので加工してるツツミさんにお任せです”
それぞれの長所を合わせた結果、トロフィッシュバーガーが生まれた。
そこにはそれぞれの想いが詰まっている。
そのトロフィッシュバーガーを食べる機会が沼津自慢フェスタである。
昨年に引き続き出店するバンデロール、佐野さんは自慢フェスタへの意気込みを語る。
“沼津はのっぽパン誕生の地。トロフィッシュバーガーが少しでも沼津の自慢になるように協力していきたい”
沼津のソウルフードであるのっぽパン。
のっぽパンから生まれたトロフィッシュバーガー。
開発者の想い、こだわりを味わっていただきたい。
バンデリ沼津駅ビル店
沼津市大手町1-1-1沼津駅ビル アントレ内
電話:055-963-2637
“最初はステージもなく、後ろに看板があるだけだった。
バンドの設備もなかったので、あの頃はアコースティックでやったりして”
沼津自慢フェスタの1回目を知る歌手、CANARYはそう振り返る。
イベントやクラブなど幅広く活動するCANARY。
いまや沼津を代表する地元シンガーのひとりである。
“歌う以外になかった。文集とかにも「歌手になりたい」って書いてた”
物心ついたころには歌手を目指していた。
まさに生まれ持ってのシンガー、歌うために生まれてきた。
趣味であったダンスを通じブラックミュージックに触れ95年頃から本格的に歌手活動を始めた。
ジャマイカやNYへの旅でスタジオワークなど音楽的経験を深める。
転機は沼津への帰省である。
藤沢や川崎、名古屋で過ごしていた彼女が地元である沼津に帰ってきたのは8年前。
その時に書いた曲が“Roots of my life ~沼津の歌~”である。
“春のあったかいSUNDAYは 香貫山でてっぺんで酒飲んで
桜の花びらのシャワーあび 歌い 騒ぎ・・・ってしたい
夏は千本で足つかって 波に向かって走って
「バカヤローッ!」って叫んで
狩野川の堤防にすわり でっかい花火みたい”
ストレートに表現された地元への愛情。
一度外から見たからこそ分かる沼津の良さ。
“何日かかけてではなく1日で出来ました。ドバっと出てきました(笑)”
作曲時の様子をCANARYはこう語る。
包括された豊かな音楽性、沼津に対する愛情、シンプルだからこそ伝わるメッセージ。
曲の持つ力はそのまま音楽の持つ力に昇華される。
9月14日、今年も中央公園に“Roots of my life ~沼津の歌~”が流れる。
クレジットはCANARY with FRIENDS。バンド編成での登場だ。
“ここ1年でバンドとして定まってきた。レゲエだけでなくいろんな音楽を聴かせることができると思います”
本番へ向けてバンドはひとつになっている。
“自慢フェスタのお客さんは暖かくてものすごく楽しい。沼津愛は誰にも負けないんで会場を盛り上げたい”
ステージを心から楽しむCANARY。
歌の持つ力、バンドの力、音楽の持つ力を体験してほしい。