循環の物語のはじまり~一杯のスープをつくる時間~

修善寺駅から20分。伊豆市萬城の滝にて八百屋 REFS主催の“一杯のスープを作る時間”というイベントが行われた。

今年で3シーズン目の開催となる、このイベントは、一年をかけて富士山の麓から海までの循環を体感する長期体験型のイベントだ。
最高のスープを飲むために器を作る木を切る過程から始め、「森」→「水」→「川」→「海」と自然の恵みを循環していく。

第一回目の今日はその最高のスープを飲むために、器になる木を切るところ。

曇り空。寒さの中、
東京や大阪から15名、地元が10名の参加者が天城に集合。

まずは八百屋 REFS代表の小松さんから主旨の説明。
そして森林づくり伊豆の会の有城さんからお話があった。

一杯のスープをつくる時間2

参加者は期待を膨らませながら真剣に話を聞く。
その後3つのグループに別れ、作業の説明を聞く。

今回の作業は“間伐”
山へ行き間伐材をする事で森の役割を感じることを目的としている。

それぞれにリーターを決め、ヘルメットを装着。腰にのこぎりの入った作業袋をつけみんなで森に入った。

一杯のスープをつくる時間3

5メートル以上のヒノキや杉が立派にそびえ立つ。
だが日の当たらない土壌には植物が育たず、根をしっかりと生やすことができない。
こんなにも立派な木にもかかわらず根は薄っぺらいもので
本当にこの幹を支えていたのかと不思議に思うくだいだった。

一杯のスープをつくる時間4

日を当て、しっかりとした根を持つ木があることで
土壌もしっかりしていく。

上を見上げ、どの木を切るかを決めた。

一杯のスープをつくる時間10

5~6メートルある木を伐採する。
みな口々に“どうやって倒すんだろう”“引っ張るしかないんじゃない”なんて声が飛ぶ。

決めたらしるしをつけ、倒す方向を決め、それに合わせてロープを巻く。

棒を使い3メートルくらいのところまで切る木にロープをひっかけ
支えになる木にひっかける。

次にチェーンソーで切り込みを入れる。
チェーンソーを使ったことがない人も、実際使用して木を切る。
音も振動も木を切る力強さを感じた。

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ロープをみんなで引っ張ると、重みが手に伝わる。
思っていたより重たい。恐る恐る引っ張る手に力が入った。

一杯のスープをつくる時間7

そしてゆっくりと木は倒れ、ドッスんという重い音が体に響く。
参加者の歓声が上がった。

一杯のスープをつくる時間8

その後は、丸太を作る。
何度かやるたびに参加者も一人で出来るようになる。
皆たくましくなったような気がした。

最後はREFSの伊豆・富山麓の野菜を使った山のごちそうと猪のバーベキュー。
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力仕事の後、気持ちいい山の中での食事は一際おいしい。

一杯のスープをつくる時間11

切った木に湿り気があることも、木の川を剥ぐととうきびのような味がすることも、光が当たる方に幹が太っていくことも、森にこなければ実感出来なかった。

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左から器になる過程。
まずは丸太を半分にして型をとる。

一杯のスープをつくる時間12

器をつくるのに丸太が一本必要なことを知る。木は湿っていて半年乾かさないと製品にできない。

都内から来た方は
“いろんなワークショップがあるけれど、本当に行きたいワークショップはなかった。
 でも2時間以上をかけても来てよかったと思う”

その理由。
“実感がちがう”

器ひとつにしても森と繋がっている。
森の役割、そして生きている木と触れ合うこと。

この先この森がどう循環していくのか。
“実感”してほしい。

一杯のスープを作る時間2014
2回目以降からの参加や1度だけの参加もOKです。

<1回目終了> 木の伐採 @天城山中 2013年12月8日(日)
チェンソーで木を切ります。

<2回目> じゃが芋植え @三島 2014年3月9日(日)
農作業をしスープに使う食材を植えます。木のスプーンづくりもして頂きます。

<3回目> 猟師と原生森をトレッキング 2014年5月18日(日)
山の事、動物の事を知ります。

<4回目> カヤックで狩野川下り @韮山 2014年7月13日(日)
狩野川から水の循環を考えます。

<5回目>海沿いの古民家をベースに漁村体験 2014年9月28日(日)
森と海が繋がります。

<6回目>スープの会 @沼津 2014年11月23日(日) 
今までの食材が集合します。

詳しくはこちら→http://fujiyama-veggie.com/soup

今回の映像

一杯のスープ2014 1回目 from REFS on Vimeo.

≪REFS≫
沼津市上土町72-5
TEL:055-963-4556
http://fujiyama-veggie.com/

≪森林づくり伊豆の会≫
http://moridukuriizu.org/

三島がゴロゴロ詰まったカレー

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三島の特産をふんだんに使用したレトルトカレーがある。
風味が違った三種類、箱根西麓三島野菜のプレミアムカレー、箱根山麓豚の旨辛ポークカレー、三島甘藷のマサラスイートカレー。
地元の食材がごろごろと入った少し贅沢なカレー、レトルトとは思えぬその味わいの深さにただ驚く。

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開発したのは田村商店株式会社。
事業開発プロジェクトチームの滝さんに話を訊いた。

“地元で商売をしてきて、やっぱり地元に恩返しをしたいと思って”

地元のものを使って何か商品化できないかと検討したところ、レトルトカレーの市場の大きさに注目した。
明治20年に雑貨小売業から創業し、スーパーなどの運営をして食と携わっていたとはいえ会社として商品開発は全く初めての経験。
試行錯誤の日々を繰り返した。
まずはレトルトカレーの実食調査、おおよそ100種類のカレーを食べ続けた。

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開発期間は半年、異例のスピードである。

“とにかくやりたいことを商品にしたので、速く商品化できたんだと思います”

開発を通じ、常にあったのは売っていく価値があるものを商品にするということ。
それは黒で統一されたパッケージにも表れている。

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ちょっと大人向けのカレー、いいものが食べたい人向けのカレー、地元のものを使った高級なカレーがコンセプトとしてある。野菜にしろ肉にしろレトルトカレーとしては一線を画する具材の量。
絶対おいしいといえるものを作るという意気込みが全て詰め込まれている。

“いいものを作ろうとするとどうしても価格設定が高くなってしまいます。会社の上の人たちには売れるわけねえって言われていました(笑)”

スーパーに行けば80円で売っているカレーがある現在。
会社の反対を半ば強引に押し切ったかたちの滝さん、そこには絶対に売れるという信念があった。

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味にこだわり続け、試食品ができたときには会社で反対する人はいなかったそうだ。

“品質を落として安いものを作るよりは結果的によかったと思います”

しっかりとしたものを作る、その想いが実を結んだ瞬間である。
地の素材の良さを引き出した商品だからこそまずは地元の人に食べてほしい、滝さんの想いは常に地元と共にある。

三種類のカレーはLot.nでも購入できる。

あろう

山二園×セントベリーコーヒー トークショー【コーヒーとお茶極上の1杯を求めて~】レポート

美味しいお茶やコーヒーを味わう時間は日々の生活を豊かにさせてくれる。
“極上の1杯”をつくる生産や工程を知り、そしてそれをつくりだす想いを知るともっと深く味わいを愉しめるのではないかと思いこのトークショーが開催された。

なんと今回は富山県からコーヒー豆の国際審査員を務めるセントベリーコーヒーの富川義之さんと、煎茶で農林水産大臣賞を受賞した沼津 山二園の後藤義博さんとの対談。
30人以上の方が聞きに来てくれた。中にはお茶のインストラクターを務める方も。

コーヒーとお茶トークショー2

お二人の背景から伺う。
後藤義博さんは東京農大を卒業後、すぐに地元に戻って実家の農業を継ぐ。
農家がだんだん少なくなり、3Kと言われ出したのもあり、小さいころから作業服姿の両親の姿をかっこよく思えず農業が嫌だった。
どうせならと東京へ進学したが卒業するとき満員電車が嫌いでそのまま東京に就職も嫌だなと思ったのがきっかけで考え直した。
その時、農業者は農地を持っていくことが武器だと気付く。
農地がうちにあるということは農地を活かさなければならない。
“かっこいい農業ってなんだろう”と考えるようになった。
そして今の“生産から加工、販売までやろう”ということになった。

コーヒー&お茶トークショー5

“東京に住んでいた時に、すぐ近くにマンションの中に牛を飼っているいる人がいたんですよ。でもちゃんと掃除してあって綺麗で。
平日小学生とか幼稚園生が写生大会なんかもしていて地域の中に認知されている。でも、私も農業を勉強していましたからそれだけじゃ成り立たないことがわかる。
ふと、向こう側をみるとレストランをやっていたんですよ。やり方次第では光が見えたんです“

ではなんでお茶をやろうと思ったのか?
“野菜は八百屋になっていろいろな野菜を仕入れないといけない。お茶屋はお茶だけでできる、お茶は保存がきく、ロスも少ない。
それに製品にはしていなかったもののお茶畑はあったから、自分の置かれた環境の中でできるそうすれば工場、お店が持てる、うまくいけばかっこいい職業になる。
それに工場を持てば嫁も来るかもしれないって不純な気持ちで始めたんですよ“

こうして後藤さんはかっこよく、そして最高のお茶をつくる農家へとなっていく。

一方、富川さんも実家が焙煎屋だったので幼い子頃からコーヒーには触れ合っていた。
実家で働くようになって、マニアックなコーヒーの集まりがあった。ブラジルに行った日本人の方のコーヒーを飲んで飲んだことのないおいしいコーヒーがあることを知った
“本当においしいコーヒーって何かな?”と考えるようになり、
自分らしいコーヒーを求めるためにセントベリーコーヒーという店舗を作ることに。
国際審査員はアメリカから要請が来るそうでたまたま、日本スペシャルティコーヒー認定
テストがあり上位で合格し、推薦され審査員になった。

お二人とも、実家の業種に携わりながら、今までとは違う“新しいもの”をつくろうとしていた。

コーヒー&お茶トークショー3

そこに必要となってくるお二人が共通するキーワードがある。
それは“品評会”だ。

品評される側とする側という立場のお二人。
そこには強い気持ちがある。

後藤さんがお茶を始めた頃、沼津はお茶の産地ではない、質が悪いと言われていた。
“だから日本一のお茶を作ろう、それがきっかけ。
でも農業ってのは職人気質、プライドがあると自分で自分のがおいしいということも多くて。でも決めるのはお客さん。お客さんにだって好みがある。
だから信頼性がある好評性がある品評会に出すことにしました。
運も良かったのか、出した一回目に農林水産大臣賞をいただきました。
お茶の修行してないからわからないことが多く、データを集めました。そういう研究所があったんだけど当時はデータの基づく栽培を誰も信じていなくて。
マニュアル通りに作ると全国で一等賞を受賞しました“

そして昭和58年、献上茶として認定された。

お茶&コーヒー

品評会はマニアック。
商売にはつながらない。
でもこの評価はお客様にとっても安心感があるという。

お客様から言われたひとこにショックを受けた。
“去年のお茶のほうがおいしかったね”
そういったことから不安になる。それを払拭するためにも、
おいしいお茶をいつでも提供できるように。
分析したり、研究したり、安心感を得るためにも品評会に出すことにしたそう。

一方富川さんも、
国際審査員になることで、どんな人がどうやって買い付けるのかを知った。
ただ海外にいって審査をするだけでなく日本のコーヒーに対する意識も変わっていく。
そこに一つ、国際審査をするようになって気づいたことは海外の人たちがたくさん買い付けに来ているということ。

“日本人って譲り合いの精神。
いいことだけど世界に行くとそういう感覚ではない。
一歩先に行く、というよりは、まず口に出す。”

コーヒー&お茶トークショー7

“国際審査員の集合写真でど真ん中に座ろうと思ったんです。
だからど真ん中に座っても文句を言われない審査委員になろうと思って”

審査員になることで、おいしいコーヒー豆に出会え、
日本で最高の一杯を出すことを可能とし、どうどうと世界でも発言をする。
記念写真も今ではど真ん中で写るようになったそう。

またこのトークショーのもう一つの目玉。
お二人にはお茶とコーヒーの淹れ方レクチャーをしていただいた。

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お茶はなんと今年農林水産大臣賞を受賞した雲乃関というお茶だ。
まるでお出汁のようにうまみを感じるお茶だ。
客席からも、“甘い”“かぐわしい”そして“言葉にならないおいしさ”など感動の声が聞こえた。

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いつもはコーヒを審査する富川さんからもこのお茶の感想を聞いた
“うまみは日本独特のもの。コーヒーの品評会でも最近はうまみという言葉を知った海外の方たちは使うようになったんですよ。
これは日本文化やお茶から来たものかもしれないですね。
このお茶は、質感を感じます。お茶の味が立体的に感じて、口に含んだ時に粘性を感じました“
との感想をいただいた。

コーヒーは飲み比べということで風味が違うと感じられる2種類をいただいた。
同じコーヒーでも土壌、農園の風土によって味が変わるそう。

今でこそ“スペシャルティコーヒー”という言葉を聞くようになったが、以前は日本ではコーヒーに対してあまり大事に扱われなかったそう。

今回はちょっとコーヒーぽくない後味がレモンティーのような酸味があるエチオピアと酸味がすくなく特殊なフレーバーのインドネシアのマンデリン。

後藤さんはコーヒーは敵だと思ってた時期があるそう。
たまたま同窓会でcafe花野子の齋藤清一さんに再開したのがきっかけで
おいしいコーヒーを知る。そこには選別や火入れ、(コーヒーでいうなら焙煎)、温度管理など共通することがあることがわかり、
それを真摯に行う姿を見て、お互いに刺激を受けたようだ。

ある酒造メーカーの会長さんに言われた言葉の理解にも繋がった。
“おきている時間はどのくらいで、その限られた時間の中で飲み物を飲む時間はどのくらいか?
ほかの飲み物は敵ではなく、その時間にどれだけ「飲み物」を満足してもらえるか。”

最後にお互い、飲み物に欠かせない水について意見交換を。
他の飲み物の方法を聞くことで、さらにおいしい一杯に繋がったように思えた。

今回は最高の一杯というこうとで
お水は髙嶋酒造の“wasan”が用意された

お茶とコーヒー。
飲み物としての共通点だけではなく、“おいしい1杯”を提供したいという気持ちはかわらないこと。
そして、最高のお茶やコーヒーを提供することから学んできたことを教えていただいた。

“もっとあるのではないか”
手間暇を惜しんで効率化し、水分を補給するというだけになるのではなく、最高の一杯を大切にすることで“嗜好品”として飲み物があり、その先に文化ができることを知る。
後藤さんも“お茶には煎茶道があります。お茶に出会わなければ、きれいな庭や掛け軸を楽しむことをしらなかった、よい経験をしています”とのこと。
富川さんも、この海外での経験を次の日は中学校でお話ししたそう。
お二人の話の中で、“おいしい飲み物”を“評価”それをさらに発展させ、そこで終わらずに広がっていく力強さを感じた。

コーヒーとお茶トークショー1

≪山二園≫
沼津市中沢田349-1
TEL: 055-922-2700
沼津ジャーナル記事はこちら→ぶれないお茶~山二園 日本一の受賞茶を楽しむ会~

≪セントベリーコーヒー≫
[富山清水元町店] 富山市清水元町1-18
TEL:076-420-7155
http://stberry.com/

日本一の塩をつくるミッション~NPO戸田塩の会~

“甘い塩”というと語弊があるかもしれないが
NPO戸田塩の会が作る塩は口の一部分に甘さを感じる。
そしてやわらかくコクがある。

真っ白で滑らかでやわらかい雪のような塩。
まあるいしょっぱさは作り手が見えるようにやさしい。

それは塩なんてどれも変わらないのではないかと思っていた私にとっては衝撃だった。

その塩を追い求め戸田の作業所に見に行った。
海のすぐそばにある木造の建物の真ん中に大きな四角い窯。
壁には薪がおいてある。

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ほんとうにそれだけのシンプルな作業所には
NPO戸田塩の会のメンバーがいる。

“うちは混じりけのない塩をつくっているから作業場を自信を持って見せられるのよ”
理事長の菰田智恵さんは言う。

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戸田塩の作り方はとにかくシンプルだ。
駿河湾の水を沖からくんでくる。(これは協力してくれる方々がいるそう)
その水を薪で約13時間炊く。
塩ができたら手ですくっていく。
それだけ。
1日に約60個しか作ることができない。

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シンプルな塩作りを来る日も来る日もお母さんたちは
にぎやかに、そしてなごやかにしている。

海水の水蒸気が立ち込める。
この天然の混じりっ気のない化粧水に毎日触れている
お母さんたちの肌はとてもきれい。

クーラーもない部屋。
夏も冬も毎日塩を作り続ける。
過酷な環境で大変そうだなと思ったが
“夏はね、海から涼しい風が入ってきて気持ちいいのよ、いつも海の恵みを受けているわね”
という返事。

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“ここの人たちは高いお金をおもらっているわけじゃない。
最高の塩を作りたいって思ってるだけ。
本当に人がいいひとたちのあつまりなの。
だからおいしいハッピーな塩ができるのよ”

出来たばかりの塩を試食した。
ちょっといつもよりしょっぱい感じがするなと思ったら
実は少なくとも3~4日は寝かせているそう。
しかも音楽を聞かせながら。
“今はね、ヴィヴァルディを聞かせてるの。音楽を聞かせてあげると角が取れてやさしくなるのよ”とこっそり教えてくれた。

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過疎化していく戸田。
この地域には何があるのかを見つめた。
日本一の深海がすぐそばにあること。
伊豆の山々の木が近くにあること。
毎日海越しのきれいな富士山を見て心和やかに暮らしている人々がいること。

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18年前、身近にあるものを活かすため“塩”に辿り着いた。
約1500年前に安康天皇にここの地域の塩が献上されていた歴史もあった。

なんとか戸田を知ってもらおうと始めた塩作り。

“私たちは最初から日本一いい塩をつくるのがミッションなの”

志は高いがノウハウがない。
試行錯誤しながらの日々。
そして東京のデパートに行き一番高い塩を見つけ、その生産地へ見学へ行く。

フランスの「ゲランド」へ。
モンサンミッシェルの近くにある、世界的に有名な塩。

どうせだったら世界一の塩を見に行かなくてはと、5年間毎月少しずつお金を貯めて、みんなでそこに勉強に行った。

“着物を着て行ったんですが歓迎されましてね。
そこでたくさんのことを学んで帰りました。”

全力で取り組み、ミッションを果たしていく。
そして“沼津ブランド”になり“農林水産大臣賞”を受賞した。
評判は広がり、今ではスカイツリーのソラマチでも販売している。

この戸田塩はロットンでも買うことができる。
塩は生命にはなくてはならないものだからこそ大切に作るという。
一つまみ、その一つまみでもお母さんたちの愛情が伝わっておいしい食事になる。

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素材をぐっと活かす戸田塩。
ぜひともシンプルに料理し素材のおいしさを味わって頂きたい。

≪NPO戸田塩の会≫
沼津市戸田3705-4
TEL:055-894-5138


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沼津アルプスの麓にある温泉宿~翠泉閣~

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徳倉山の麓、下香貫に沼津唯一の温泉湧出岩風呂を備える割烹旅館、翠泉閣。
利用客の多くは観光客だというので今回は観光気分で訪れてみた。
まず、徳倉山を背に5階建ての白い外観が目に飛び込む。
そのレトロな佇まいに胸がときめく。

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玄関には歴史の刻まれた“月の湯温泉翠泉閣”の看板。
月の湯とは温泉を掘った年にアポロ11号が月面着陸に成功したことにちなみ名付けたそうだ。
玄関を入ると整然と並べられたスリッパ、ロビーには独自のセレクションが面白い土産物が並ぶ。
温泉宿らしい出迎えに旅行気分をくすぐられる。

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案内していただいたのは旅館の女将、藤井照子さん。
ここで宿を始めておよそ40年。長年宿を切り盛りしてきた名物女将である。
早速、翠泉閣自慢の温泉に案内していただくとこの辺りでは珍しい茶色い温泉にテンションが上がる。

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沼津アルプスの登山後、疲れた体を癒しに温泉に宿泊というのも良さそうだ。

そして客室へ。

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おお!この部屋も昭和感溢れていい感じだ。
5階からの眺望は良く、御用邸の松林や牛臥山、びゅうお、沼津の市街地、そして富士山まで一望できる。
夏には沼津の花火大会も見れるとのこと。
女将さんの話によると昔は一面田んぼが広がっていたそうだ。

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ここで夕食が登場!
板前さんによる新鮮な駿河湾の幸たっぷりのごちそう。
アワビのステーキに刺身、カサゴの唐揚げ、カニ、さざえ、鍋、このボリュームである!

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この食事を楽しみに毎年訪れる常連客がいるのもうなずける。
素泊まりも可能だが、せっかくなら女将さん自慢の料理を味わいたい。
料金は1泊2食付で10,000円〜。

食事のあと、旅のワクワクは止まらない。
旅館の夜を華やかに飾るパブハウス、ポンツウ。
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この何とも言えぬ絵に描いたような昭和の空間。
アポロ11号で湧いていた時代を思い浮かべながら歌謡曲を歌いたくなった。

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パブハウス ポンツウは宿泊客以外のお客さんでも利用可能とのこと。

“うちは小さな旅館ですが、その分お客様の都合に合わせることができるんです”

食事の時間であったりお客さんの要望に融通をきかせてくれるのも翠泉閣の魅力。
翠泉閣に宿泊すること自体を目的に訪れる方も多いそうだ。
昭和から変わらず続く“おもてなし”が魅力満載の旅館と女将さんの人柄、沼津の隠れた名所に心躍った一日であった。

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≪翠泉閣≫
沼津市下香貫林ノ下2031-5
TEL:055-932-1325
http://www.j-mn.net/suisenkaku/

新しい土地で生まれる家具~和田家具~

2001年新潟で“家具”の道を学び、
2006年富山へ場所を移し家具作りを続け
今年の1月末に伊豆の地で独立を果たした和田家具の和田大さん。

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もともと神奈川県出身の和田さん。
大学中に、ものづくりができるところと出会った。
大学を卒業後、ずっと好きだったものづくりをするために2001年新潟へ。
そもそも“ものづくり”が好きな理由、

“職業にしていたわけじゃないんだけど、両親がものづくりが好きで。
このニット帽は母が作ってくれたものなんです。
この網、今はネットがないんですが父が作ってくれた網なんです”

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大切そうにご両親がつくってくれたものを見せてくれた。

丁寧につくられた物に囲まれ
日曜大工や手芸など作ることの楽しさを間近で見続けた結果、家具を作ることを職業にした。

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和田家具の家具はとてもきれいに木の木目が出ていたり、気持ちいい木の感触だったり
実は木の廃材を利用して荒々しく力強い作品があったりと様々だ。

こだわりというか、その木に対する想いでいろいろな形に変えていくように感じた。
今後は天城の間伐材も使用していきたいとのこと。

地域の木を使用しながら作っていく家具。
それは3県(出身の神奈川県を入れれば4県)を移住してきた和田さんの想いもある。

ものづくりができることを見つけた新潟。
その新潟で使用していた木材が岐阜や富山だったので、付き合いのあった材木屋さんの手助けもあり富山で工房を開くことにした。
木の近くで制作をするために。
富山に移動してからは材木が手に入りやすくなった。

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そのうち実家の神奈川県の近くに工房を移動しようということになった。
いくつか候補はあったが新潟の時に同僚だった有城 利博さん(ありしろ道具店)の勧めもあり伊豆へ。
昔からの知り合いがいること、協力してくれる材木屋があり工場を持つことができることなどが重なり移住を決めた。

伊豆の真ん中にある工場。
道路から脇道に進んでいくとある。
山に囲まれ、思わず深呼吸したくなる。

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工場の中にはいくつかの工具と材料の気がある。
ピーンと冷たい空気充満している工場には音楽が流れる。
その横にある部屋にはだるまストーブ。
机仕事や休憩をするスペースのようだ。

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こんな気持ちの良いところで生まれた家具たち。

最近ご結婚されたばかりだという和田さん。
奥様は富山県生まれの富山育ち。

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日本海の海と山に囲まれた富山。
少し静岡にも似ているところがあると感じたよう。

木にも柔軟に対応しいろんなインスピレーションを受けてつくられる和田家具。
そんな和田家具は新しい土地で夫婦の新生活とともに成長していく。
進化も楽しみな家具だ。

1月15日(水)までロットンで受注販売と木製雑貨の販売を行っている。
たまに作品がかわるので要チェックだ。

また12月7日(土)8日(日)にはロットンで
和田家具“木で木のかたちをつくろう”が開催される。

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一枚一枚木を選べるのプラス、今回は特別にハンナコテで絵を描くことができる。
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●日時:
12月7日(日)1回目:10:30~2回目:13:00~ 
12月8日(日)1回目:13:00~2回目:17:00~ 
●所要時間:約1時間
●場所:ロットンコミュニティースペース
●定員:各回15名 ※先着順となりますのでご予約をお勧めします。
●参加費:2000円

お申し込みはお電話、店頭、HPで→http://lotn.jp/(希望日のカレンダーにあるタイトルをクリックしてください)

≪和田家具≫
静岡県伊豆市上船原521-1
TEL:0558-87-0470
http://wadakagu.com/index.html

プロフィール
1979 東京生まれ
2001 新潟県糸魚川市にある
     原木家具の”祭り屋木材”に入社
2006 富山県砺波市”わだ家具”として独立
2013 静岡県伊豆市へ工房移転

ロードバイクが好きだから~プロショップナカムラ~

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沼津でロードバイクの販売、修理を手掛けるプロショップ・ナカムラはロードバイク好きの集まる店として知る人ぞ知る店である。
ご主人の中村健さんは東京出身。奥様の出身である沼津に店を構えたのは33年前。
当時はロードバイクを趣味で乗るということはほとんどなく、あくまで競技用のものだった。
ロードバイクの専門店というと都内でも4~5軒くらいしかなかった。
そんな専門店を沼津でオープンさせるといったときに周りからの反対も多くあったそうだ。

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“東京で自転車とは関係ない実家の仕事をしていたんですけど、子供のころから自転車が好きだったんで沼津に来て自転車屋をやろうと思ったんです”

小学校のころから自転車をいじることが大好きだったという中村さん。
学校から帰ってくると意味もなく自転車を分解しては組み立てたりしていたそうだ。
お店をオープンする頃には一通りのことは自分でできるようになっていたと中村さんは言う。

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“昔はお店が少なかったから全部自分でメンテナンスができなくてはいけなかったんですよ”

自転車の流行を長年見続けてきた中村さん、今は健康のために自転車に乗る人が増えたそうだ。
それまでの競技目的から現在の健康志向へ、ロードバイク人口もここ数年で飛躍的に増えた。
初心者がロードバイクを購入するとき、何を買っていいのか迷ったときにはその使用目的に応じて一緒に選んでくれる。専門店ならではの安心感、中村さんの自転車に対する確かな技術が可能にするアフターサービス。

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ロードバイクはメンテナンスが大事、だから近くの専門店で買ったほうがいい。
そうやってナカムラには多くのロードバイク好きが集まるようになった。
沼津は平坦な道が多く自転車も走りやすい。駿河湾の海岸線や富士山など走るロケーションも抜群だ。

“沼津に来て知り合いもいなかったけど、ロードバイクが縁になっていろんな人と知り合うことができました”

好きなことを仕事にし、それを信じて商売をやってきた。
ここにはロードバイクが好きという共通の意識で繋がる幸せな人間関係がある。

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≪プロショップ ナカムラ≫
沼津市双葉町5-19
TEL:055-925-1722
http://web.thn.jp/ProShopNAKAMURA/

空間を変える~hal/後藤由紀子さん~

沼津駅から歩いて5分、路地裏に全国から注目されるhalという雑貨店がひっそりと佇む。
「お母さん、旅はじめました」「ほどほど収納が心地いい」などの書籍も書かれる店主の後藤由紀子さんのお店だ。
2人の子どもを育てるのに無理をしない15時までの営業。
店内は後藤さんのセンスで集められた雑貨でなんとも心地のいい空間、そしてそのモノの物語を聞くのもとても心地がいい。

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後藤さんはオープンをした12年前を振りかえる。

飲食から雑貨屋をやろうと決断するまで1日。
朝送り出すときは「私、子供が中学生になったら飲食店をやりたいの」と言っていた妻が
「雑貨屋をやることにしたから」という具合にそれは突然だった。

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その決断は、その中心にはいつも家族がいる。

子供が風邪を引いたとき、
子供のそばにいたいけど飲食店でそれをやってしまったら食材が腐ってしまう。
大好きな食。それに付随して食器も好きだった。
そうか食器なら腐らない!じゃあ雑貨屋をやろう。
そう思いついた時に不動産屋に電話をして6つの物件のファックスをもらっていた。

商店街から少し外れたところにあるhal。
入口はアルミサッシ、で外観も何の変哲もない。
むしろ雑貨屋さんだということが不自然なくらいのシンプルさ。

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入口にある椅子の上の「hal」という文字がやさしく店内へ誘い込む。

中に入るとその外観からは想像がつかないくらい所狭しと並んだ雑貨達によってわくわくする空間がある。
食器、洋服、鞄、長靴、お茶、本。。。
おいてあるものはほとんどお友達の作品など“縁”あるもの。

たくさんの本があるのも印象的だ。

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“本もね、知り合いが書いた本なの。この人はハワイが好きすぎるの。でこの人は鹿児島ばっかり行く人。あ、この人は台湾が好き。
 この焼き物もお友達がプロダクトデザインをやっていて・・・「縁」でつながっているものばかりなの。私は深く狭くっていうタイプだから”

そう一品一品大切そうに解説をしてくれる後藤由紀子さん。

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あったかくゆるやかな空気。
やさしく包み込む由紀子さんの空気感に思わずおしゃべりをしてみたくなる。

もともと店舗ではなく事務所だった場所。
お店にするにはちょっと味気ないかなとおもう壁や床。

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なんでこの場所にしたのですか?という問いにきっぱりと
“大家さんがいい人だったから”

お金もなかったらからまったくリノベーションはしていないという。
電気を外したりはしたが基本はそのまま。

“床もはがして打ちっぱなしにしようと思ったけどめんどくさいからやめちゃった”
おちゃめにそう答える。
手の込んだリノベーションをすることなく、できる範囲と持ち前のセンス、そして由紀子さんの雰囲気で居心地の良い空間を生み出している。

なによりも“縁”で選んだ物件。
大家さんとも仲良しだそう。

大切にしている“縁”
雑貨も物件も人も。

“hal”は、私たちが持つ日常にあふれる“縁”を見つけ大切にすると
何の変哲もないことも特別なものに変わることを教えてくれる。

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hal
沼津市添地町124
TEL:055-963-2556

街中を駆け抜ける~静岡県内初のクリテリウム~

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11月24日、県内で初となるクリテリウムの大会が清水町で行われた。
クリテリウムとは、他の交通を遮断して街中に作られた周回コースで行われる自転車のロードレースのこと。
清水町の町制50周年を記念して行われたこの大会。参加者は県内外から351名。
県内の参加者がおよそ7割。茨城、群馬、大阪など遠方からの参加者もいる。
会場になった卸団地には特設の周回コースが設けられた。

“卸団地地区と道路を使用してイベントをしようというのは長年の夢だったんです”

答えていただいたのは企画を担当した清水町役場の太田雅明さん。

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当初は踊りのイベントであったり様々な企画があがったなか、
平坦でコンパクトな清水町の特徴を活かしたイベントとしてクリテリウムを行うに至ったそうだ。
レースは1周約930メートル。
ロードバイクを使用した本格的なロードレーサーの部以外にもママチャリの部や小さな子供を対象としたキックバイクの部などもあるため、参加した年齢は2歳から70歳までと幅広い。

“鉄道駅もない街ですし、自転車を使った街づくりのきっかけになればいいかなと思ってます”

スタート前、この日が来るのを待ちわびていたであろう参加者の笑顔でスタートラインは和やかなムード。

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だが、レースが始まれば一気に真剣モードに切り替わる。
ロードバイクのスピード、迫力に観衆も驚きを隠せない。
普段の卸団地とは全く違った新鮮な風景、街中をロードバイクが走り抜けるその光景。

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参加者も観衆も誰もが喜びに満ちた空気に包み込まれる。

“参加いただいた方からは好評いただいてますので、今後定期的に行えていけたらいいなと考えています”

レースの結果ではなく、参加することに喜びを感じる。
自転車が好きという共通の意識がここにはある。

“いい経験になりました。またチャレンジしたいです”

ロードレーサー男子一般の部に参加した裾野市の庄司浩将さんは笑顔でコメントしてくれた。

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県内で初となるクリテリウムの大会。
街中を駆け抜けるロードバイクに魅了された一日だった。