絵が教えてくれた自然の美しさ~ギャラリー木耳~

焼き肉やの看板の横にもう一つ
ギャラリーの看板がある。

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何ともアンバランスな看板の先を覗くと無数の絵が並ぶ。
張り紙を見るとどうやらこちらは入口ではないようだ。

店の横の狭い通路を覗くと“ここから”という文字が見える。

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その文字に導かれ進むと普通の玄関が。
チャイムを鳴らしてみたが壊れているようなので
おそるおそる開けてみる。
すると奥から人が出てきた。
拍子抜けするほど明るく迎えてくれた。

どんな人が出てくるのだろうと身構えていたのでほっとした。
このギャラリー木耳の画家、本田照男さんだ。
室内には沢山の絵と画材が所狭しと置いてある。

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もともと焼き肉店だった店内の一部なので
換気扇カバーがついたまま。

友人が送ってくれた画集をきっかけに
60歳になって急にどうしても絵を描きたくなり
焼き肉店を辞めた。

そこから8年間、365日絵を描き続けている。
細いペンを中心に、アクリル絵の具、油絵具、そして鉛筆やパステルなど子供も使うような画材を使い

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細かい線が特徴の絵を多く書く。
モチーフは自然が多い。富士山も多く描かれていた。

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“人は生きていると不安やつらいこともあります。でも私は絵を描くと心が落ち着き静かになる。
 そうすると絵を描く対象をじっと見る。昆虫の模様の美しさ、山々の壮大さなど自然ってすごいな~と思う。
 それが楽しい”

絵を描くことで季節の移ろいを敏感に感じることが出来る。
43年間続いた焼肉店。
沢山の人に支えられ人気店だったそう。
今もまだ間違えて予約の電話が来るほど。
その看板とともに新しい視野が広がる画家活動。

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繊細で、でも力強く、カラフルな色が心を躍らせる本田さんの絵は
恵まれた自然がある沼津にいることを教えてくれる。

“ここ”というランプが光っている日はアトリエにお邪魔することができる。
もちろん絵の購入も出来るそうなので気になる絵があったら相談してみるとよい。

嵐の日は嵐の日らしく美しい。
春の日は春の日らしく美しい。

60歳から始めた絵は歳なんて関係なく
来る日も来る日も発見し、敏感に美しさを感じている。

≪ギャラリー木耳≫
沼津市旭町42-6
TEL:055-962-9800


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川を眺めながら心地よい音を愉しむ日~THE BLUE WATER~

窓の外には流れる川。
そこには気持ちよい風が流れる。
その川に面するように“ブルーウォーター”というお店がある。

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オーナーの天野さんは
新卒で洋服屋で働きはじめた。
今でいうセレクトショップのようなお店。
とてもよく売れる店だった。だが、お客さんたちからこんな声を聞くようになる。

“たくさん買うのはいいけれど着て行くところがない”

服は人を意識するところから始まる。

それから月一で近くの飲食店を借りパーティーを開く事にした。
ネクタイやジャケットなどドレスコードを決めて。

そんな時、毎回場所を探してやるのではなく新しいお店を作ろうということになった。
だったら、飲食店もやってしまおう!
ライフスタイルを提案する場をつくっていくことに。

その決意から会社を辞め飲食店にノウハウを学びに修行に出た。
そして1年後、仲間とカフェとアパレルを融合した店をオープンさせたのだ。
今でこそカフェとアパレルや雑貨が同じ場所にあるスタイルはなじみがあるが
その当時はそんな店はなかった。

そんな中、シェフは雇っていたのだが
ある日突然シェフが来なかった。
だが予約は入ってるし、お店を開ける限りお客さんは来てしまう。
そこで天野さんがメインでキッチンを担当することになる。
飲食店に修行に出たとはいえコックになるためではない。

その時に、魚屋に魚のさばき方を習いに行ったり、八百屋に野菜のことを聞きに行ったりした。
そうして2年くらいがったたのだが、もともとコックになりたかったわけじゃないということで、その店から離れ自分の店を創る決意を持つ。

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最初は飲食店から、そしてそのうち物販をしようと決めていた。
店舗を探すとき、一番大事することを“環境”と決めた。
普通だったら人通りや設備などを第一優先にするかもしれない。

そうではなく“自分の家を探すような感覚”で。

一瞬いる場所ならいい。でも長居をする場所だからこそ気持ちの良い空間でありたい。
だから何よりも窓から見える景色など環境を重視した。

場所探しは神奈川を中心に1年以上かけた。
なかなか見つからない中、親戚の紹介で今の物件を紹介された。
沼津もあんまりピンとこないし、親戚の紹介だし、でもとりあえず見ることに。
案の定、建物はボロボロ、天井は低いは階段は錆びている。
だが、中に入っていくと大きな窓の外に川がドーンと。
その景色を見た瞬間“ここでやってみよう”と思ったそう。

狩野川のようにゆらゆらと水が湛えている川は数少ない。

川が見え、空が抜ける。
マーケティングは一切しなかった。
地元の人たちがその良さを共感してくれなかったら辞めよう。
そうして、15年前ブルーウォーターが出来上がった。

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名前の由来は、沼津の川の近くで店を構えたからではない。
身近にある自然で子供が覚えられる英単語にしたかったそう。
水辺で、ブルーにイルミネーションされた川のほとりに店を構えることになったのは素敵な偶然だ。

ブルーウォータは、家具や人そしてモノが出来るだけシンプルな内装から始まった。
15年経つ今では数多くの商品やおいしい料理、そして働くスタッフの皆さんで彩られている。

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その中でひときわ目立つ木がある。
夏の間は窓を開けている。
正直暑い。だが風はある。
夏らしい空気感と時折涼しく癒してくれる風を感じれる。
風は何かがなければ見えない。
葉っぱが揺れることで風は見えるようになる。
“何かを置くと見えるようになる。そういう発想が好きなんだ。
人もそうでしょう。自分だけで頑張るよりほかの人と協力したりすることでその人の功績が見えてきたり”

風、そして川、山の景色。
それはぼーっとすることを許してくれる。
本を読むでもなく、心地よいBGMとともに。

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ブルーウォーターでは12年前から毎月ライブを開催している。
心地よい生活に必要な条件。
それは“おいしいもの” “人” “モノ”
そして“いい音楽”。

その音楽を天野さんセレクトで全国から呼んでいる。
評判や下調べは必要ない“心地よさ”が約束された音楽だ。
東京でもなかなかチケットの取れないアーティストも来る。
天野さんの人脈や今までの経験、そしてなんといってもこの“場所”
に素敵なアーティストや作品が今月も集まる。

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5/9(金) ライブLaika came back open19時start20時¥3500
10(土) 映画:Canta!timor上映会 open19時 start20時¥2000
11(日) ライブ:オグルスノリヒデ open19時 start20時¥3500

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『かけがえのない時間に、「今度」や「また」や「そのうち」はないと思います。
新しい価値体系や新しい目線を手に入れることが、日々の充実感や充足感を作るんだと信じています。
少しだけ手を伸ばす、少しだけ踏み出す。
そんな行為の先に、未来を作るピースが待ってると思います。』
と天野さんは今回のライブに想いを持たれていた。

こんなにも恵まれた場所だから
こんなにも自分を大切にする時間があってもいいような気がした。
それはブルーウォーターという場所が教えてくれる。
“未知の未体験のものも取り入れようとする勇気を身に着けてもらいたい”
川を眺めながら、おいしい食事と音楽を聴きに行く日が
生活の一部になるともっと自分の生活に愛着を持てるかもしれない。

≪THE BULE WATER≫
沼津市魚町15
TEL:055-951-0001
http://www.the-bluewater.co.jp/


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phot by cyie kawakami

眼鏡と共に127年~ヤシロメガネ~

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メガネの販売を始めて127年、上土商店街に店を構えたのが明治20年という老舗ヤシロメガネ。
江戸時代は桶屋だったというから商店としてのその長い歴史に驚く。
現在、店を引き継いでいるのは4代目となる八代泉さん。
もともとは東京の百貨店に勤めていた八代さん、メガネのことは何もわからなかったそうだ。

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“東京から沼津に戻ってきたとき、父と兄がいろいろと教えてくれました。あとは眼鏡の学校に通いました。やっぱり専門的にやるのであれば学校に行ったほうがいいかなと思いまして”

専門学校で2年間学んだ八代さんは日本眼鏡技術者協会の最上級資格であるSSS級認定眼鏡士に全国3人目の合格者として登録される。
メガネの専門職として学んだ知識や経験がメガネに対する絶対的な自信に繋がる。
そんな自信がトレードマークともなっている髪型に表れる。
自らが前面に出て注目を浴びることにより、仕事に対して責任感が湧くそうだ。

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“この髪型にして10年経つんですけど、目立つでしょ?だから、いい加減な仕事はできないんです。あとはお客様が緊張しないようにというのもあるんです”

初めてヤシロメガネを訪れる方が緊張しないようにすることは正確な視力を測定するうえでも必要なことだと八代さんは言う。普段のリラックスした状態でないと最適なメガネを作ることは難しいとのことだ。
全ては良いメガネを作るために。ヤシロメガネにはそんな想いが詰まっている。

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常用メガネの寿命は5~7年ともいわれる。
その都度、適切な視力測定、使用目的やライフスタイルにあったレンズ選定、フレーム選び、フィッティング調整など専門的で複雑な技術が必要となる。
だからこそ、メガネ作りは確かな技術を持つ信頼できるプロに任せたい。

“お客様とは長い付き合いになります。自分が生まれる前から通っていただいている方もいます。メガネとは、その方にとって人生の一部なんです”

メガネのことなら任せてください、笑顔でそう語る八代さんのプロとしての責任感、メガネに対する情熱を感じずにはいられない。

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≪ヤシロメガネ≫
沼津市上土町44
TEL:055-962-0896
http://846.co.jp/index.htm

豊かな人生の一部に~沼津フィッシュマーケット タップルーム~

沼津の港の目の前に“タップルーム”というところがある。
一歩中に足を踏み入れるとそこは
海外のフィッシャーマンマーケットにあるブルワリーパブだ。
オーナー自らも手を動かし作った店内は
レンガをモチーフにした壁に、
木を活かしたテーブル。
外を眺めるように大きな窓。
魚市場を眺める事ができる。

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そこに並べられているのはミャンマーの農工具をリメイクしたスツールで同じものは一つとしてない。

カウンターでクラフトビールを選んで購入し、
席に着く。
すべてキャッシュオン。
常時約15種類のビールが並ぶ。

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そこには季節限定も。
現在の限定は「大工さんのみかんエール(アルコール度数 6%)」
フルーティーな香りが口に広がる。
実はベアードビールでは季節限定で数えきれないほどのフルーツエールがある。
みかんをはじめ、ビワ、いちぢく、ブルーべりー、いちごなどなど。
どれも地元のものや、つながりのある人のこだわりのフルーツたちを使っている。
その一番最初に作ったフルーツエールが戸田の大工さんがもってきてくれたみかんを使った
「大工さんのみかんエール(アルコール度数 6%)」なのだ。
以来12年間、毎年この季節に現れる歴史ある季節限定ビールなのだ。
12年前の出来事、
“にこにこしながらね、戸田の大工さんが自分ちで取れたみかんを持ってきてくれたの。
 これビールにならないかな?って”
そう語るのはベアードさゆりさん。

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この大切なみかんをブルワーの皆で皮の表皮だけをピーラで剥き、
手絞りで果汁を絞っていく。
こうしないとえぐみが出てしまうのだ。

ベアードビールはこうした丁寧な作業の上で成り立っている。
そんなビールに惚れてたくさんの人がこのタップルームには来る。

ベアードビールは現在、修善寺の工場で作られているが、当初このタップルームの奥で日本一小さなブルワリーとしてビールの製造を始めた。

開店当初から、禁煙。
ビールは冷たくないし、今までの日本のビールとはちがう味。駅からもちょっと距離がある。

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当時はダメと言われることをやってきた。
だから最初の4年くらいはまったく相手にされなかった。
それでも、自分たちが好きで自信が持てるものを作り、
そして想いを伝え続けたら、次第に常連さんが出来、
その常連さんが人を紹介していった。
想いが詰まったビールは大切な人にしか教えたくない。
そんな連鎖もあってタップルームには面白い人が集まるという。

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そして、カンパニーの皆の気持ちがこもっているからか、
恋人に出会ったり、告白が成功したり、結婚したりとうれしい出来事もあるそう。
“ある人に豊かな人生の一部になったらうれしいな
 そして人生に厚みをもたせられたら。そういう役目をベアードビールができたらと思っています”
おいしいビールは人生も豊かにする。

ベアード ブライアンさんが言った。
“ここはあんまり会社じゃないんだよ、好きな人と好きなことをやる。好きな人と協力してね”

“好き”が詰まった空間は、自然に心が豊かになり
おいしいビールがさらに手助けをしてくれる。

そこにはもう一人の、マネージングパートナーのジョン チェセンさん。
実はブライアンさんとジョンさんはワシントンの大学院時代から続く親友なのだ。

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(左がジョン チェセンさん 右がベアード ブライアンさん )

そこで出会って10日もしないうちに飲みにいったそう。
しかも、ワシントンで有数のビールバーに。
“もしかするとブライアンはビールの仕事に就くってその時感じていたのかもね。
 僕は想像もしてなかったけど”
とジョンさんはおちゃめに話した。

その大学院で二人とも日本のことを勉強していた。
卒業後、別々に日本で仕事をしていたが
ブライアンさんがビールの製造を始めた時、ジョンさんは資金をだして応援をした。
ブライアンさんとさゆりさんの情熱をジョンさんが受け止め更なる成功へ導いた。

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始めは沼津と東京を行き来していたそうだが、
3年前正式にカンパニーの一員になり沼津へ移住。
21年。今でも一緒にビールを飲み語らう。
時に真剣に、時に笑いあう。
三人の様子は20年経っても変わらない。

ベアードビールを作る人自身も豊かな生活や素敵な仲間といるからこそ。
一人でも、国籍も年齢も関係なくおいしいビールがあれば楽しめる。
そんな場所なのだ。

≪沼津フィッシュマーケットタップルーム≫
沼津市千本港町19-4
TEL:055-963-2628


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歌人が愛した景色~沼津市若山牧水記念館~

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若山牧水は明治18年、宮崎県に生まれる。
旅を愛し全国を旅した牧水が沼津の自然、特に千本松原の景観に魅せられ一家で移住したのは大正9年。
そんな牧水の足跡と業績を貴重な資料を通じて知ることができるのが、沼津市若山牧水記念館である。

“この記念館はもともとは募金でできたもの。言ってみれば市民のものなんです”

記念館を運営する公益社団法人沼津牧水会の理事長、林茂樹さんは語る。

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昭和56年、牧水が最も愛した千本松原に記念館をと募金活動が始まる。
その募金により集められた約6千万円の寄附金が沼津市に納められ、昭和62年に建設されたこの記念館はまさに市民の手によって作られたものだ。
それは歌人としての功績を讃えると共に千本松原の保護に尽力した牧水を忘れないためのものである。

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“この記念館がここにあるということは非常に意味があり、責任があることなんです”

牧水が千本松原に隣接する土地に住居を構えてからしばらく後に静岡県による千本松原の松の一部を伐採する計画が起きた。
牧水はこれに反対して、『沼津千本松原』と題する文を新聞に投稿。
松の伐採に反対する市民大会では熱弁をふるうなど伐採反対運動の先頭に立つ。
その結果、県は計画を断念することとなった。
これは自然保護運動のさきがけともいうべき出来事であり、郷土の誇れる歴史である。

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林さんに展示室の資料を説明していただきながら館内を一通りまわった後、記念館の裏手から千本浜にでることとした。千本浜に下りてみるとそこからは松原と愛鷹山、富士山という景色が見える。

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“千本浜にでると牧水の心に触れたような気分になるんです。この景色というのは全国に誇れる景色だと思います”

都会の喧騒を離れ、沼津の自然のなかで生きていくことを決めた牧水。
牧水が愛し、歌に詠んだ景色は今も変わらずそこにあった。
牧水が市民と共に守った千本松原、その一角に市民の力で建てた記念館。
ここには牧水と市民の深い繋がりが確かにある。

≪沼津市若山牧水記念館≫
沼津市千本郷林1907-11
TEL:055-962-0424
営業時間:9:00~17:00 (入館の受付は16:30まで)
休館日:毎週月曜日 (祝日に当るときはその翌日)
料 金:大人200円 小人100円 (小・中学生)
http://web.thn.jp/bokusui/index.htm

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若い力で繋いでいく沼津のぐり茶~五十鈴園~

あまり知られていないが沼津は全国でも有数のぐり茶工場が密集している地域だ。

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ぐり茶は、一般的な煎茶と違い荒茶製造工程で茶葉を傷めることなく 「ぐりぐり」とした丸みのある形が仕上げるために、
フォークや歯ざらいなどは無く、優しく茶葉を傷めることなく風と熱風を送り乾燥させる。

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そのためお茶の成分が浸出しやすく、「甘さ」と「まろやかさ」と「味の濃さ」が、口の中に残り柔らかく広がるとても美味しいお茶だ。
更に、ぐり茶は蒸す時間を煎茶の2倍から3倍にすることにより、豊富なミネラルなど健康には欠かせない成分を、
急須に注いでから短時間で取り出すことができる。

手に届く価格帯のぐり茶。
独特の手法で作られたくるんとまるまった茶葉は熱いお湯を注いでもおいしく出すことができるし、
3煎、4煎目までおいしくいただくことが出来る。

このぐり茶を専門としている五十鈴園の代表を務めるのが鈴木崇史さん。
若干25歳の鈴木さんは今年でお茶作りを初めて3年目だそう。

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今はお茶のオフシーズン。
だが毎日畑に行って整備をしているそう。

大学は工学部に進学。
お茶の機械については多少分かることもあるそうだが
お茶づくりについては何もわからなかった。

そんな鈴木さんがこのぐり茶園に携わる事になった理由。

そこには最愛の父の死があったそう。
両親は3人の息子に自由に好きなことをして継ぐことにするかどうかも自分で決めていいよと言っていたそう。
そのため三男である鈴木さんも家を継ぐことは考えず進学をし、就職をしようとしていた。
だが突然の不幸。
その時、祖父や父が守ってきたものを見つめなおし、
このままなくなってしまうのは嫌だと思い、就職はせず実家に戻ることにした。
父が亡くなる前日、たまたま畑を手伝っており一緒に茶葉に触れ合っていた。
今、父のいない畑で一生懸命、周りの人たちに教わりながら、そして助けてもらいながら5.5丁もある畑でぐり茶を作っている。

農業離れがすすむ中、2代目、3代目としての役割を果たそうと、
農業へ若者が入りやすくするため色々な取り組みを始めた。

その1つとしてスタッフの採用は自分のホームページ上で行った。
求人サイトはお金がかかるからということもあったが
それ以上に自分の言葉で人を集めることにした。
そのかいあって、頼もしいスタッフが入った。
星さんだ。

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星さんは山小屋で働いていたり、海外を旅していたりとアグレッシブな方だ。
四国か靜岡に移住したい、そして農業をしたいという気持ちがあったそう。
そんな中、五十鈴園を見つけ、靜岡に移住することにした。
実際やってみて思っていたよりも重作業が多くびっくりしたそう。

そして、五十鈴園ではお茶を作る過程、そして工場を持っているの加工、さらには車にお茶っ葉を積んで全国へと売りに歩くところまで
鈴木さんを中心に星のサポートの元、みんなで力を合わせて取り組んでいる。

茶摘みの忙しい時期には仲間たちが手伝いに来る。
同年代の若い人たちが茶摘みをする風景はなんも清々しい。
自分たちが見える世界を、お茶の世界を記録に残し、伝えるべく
映像作りの準備もしているそう。
やっている人だからわかる目線。

”自分の場所で繋がりが出来てくることが嬉しいんです。
 僕は農業がカッコイイものだと思ってなかった。でもやってみるとつらいけど楽しい。
 同世代や若い人たちがやってみたいなと思うようなことをやっていきたいです”
と鈴木さん。

お茶も急須にお茶っ葉を入れて2煎、3煎と飲むことも減ってきている中、
家庭でも手に取りやすいお茶を作るように広い面積でたくさんのお茶を作っている。
ご飯の時、お菓子を食べる時、喉を潤す時など様々なときに活躍するぐり茶。
お茶を淹れる時間が守られるのも次世代の力にもかかっている。

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そんな頼もしい笑顔がこのぐり茶にはある。

《五十鈴園》
沼津市東原491
TEL:055-966-1975
http://guricha-isuzuen.jp/


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ランドネ佐々木編集長×国交省大儀所長~トークライブレポート~

1月のスペシャルトークライブはなんと人気山雑誌、ランドネ編集長と私たちの暮らしを守る国土交通省沼津河川国道事務所所長の対談だった。
「山と川の魅力を知ろう!地域がもっと楽しくなる」
普段、お二人に会う機会もめったにないだろうし、このお二人が対談することもなかなかないだろう。
約30名の方に参加して頂いた。

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狩野川活用研究会メンバーの沼津ジャーナル編集長、小松がナビゲーターとなり、3人の知識や経験をもとに参加した全員で地域をもっと楽しむための話で盛り上がった。
そして、今回は立場をあまり意識せずお話しして頂く事に。
なのでもちろん呼び方も編集長や所長ではなく、「●●さん」とさせて頂いた。

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【お二人のこと】
はじめにお二人のバックグラウンドを簡単に説明して頂いた。

千葉県出身の大儀さんは学生時代に山岳サイクリング部に入っていた。
奥多摩などマウンテンバイクを担いで山に登っては下りる。
長期の休みは自転車に乗って旅するサークルで地方を回った。
その時、様々な道や川を見て
“国造り”に興味を持ち、そして建設省に入省した。

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一方、対照的なのが佐々木さん。沼津の隣、清水町出身。
中学時代は朗読部。文系を地で行くような学生で、文学が好きで出版社に入った。
フランスに取材に行った時、平日はバリバリ働いている女性が週末全然違う格好で登山に行く姿を見て、素敵だと思いそのことを社内で話したところ、ランドネの立ち上げを受ける事になってしまったそう。

ランドネという山雑誌は、これから山を始めたい方、始めてから3年目の方が楽しむ情報を発信している。
山での過ごし方をおしゃれに提案しており、今まで山に興味がなかった人にも楽しめる内容。

だがはじめは従来登山をしている人たちに山でスカートを履くなんて!などお叱りを受けたことも。
アウトドアは厳しい歴史のある世界。
言わんとすることはもっともだ。
愉しむのは安全の上に成り立っている。
ランドネは山以外の部分ファッションにもちゃんと光を当てており、本当に山を楽しみたい、始めたい、そういう人に支えられた。
だからこそ安全面をちゃんと伝えるようにしているそう。

また、驚いたことにランドネでは“山ガール”という言葉は使っていない。
一人歩きした言葉はやがて消費されてしまう、ブームにしたくないという思いがある。
ランドネの本来の目的である登山が盛り上がってほしいということを大切にしている証拠だ。

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【この地域の山のこと、川のこと】
佐々木さんは“沼津アルプス”に対して“ミニアルプス界のスター”だとおっしゃった。
都内からも、駅からも近く、海、そして富士山を眺めることが出来る。
さらには、麓に沼津港などおいしいもの沢山ある。

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参加者のある方が経験談を話してくれた。
沼津アルプスに行き、おばあさんに会いお話をすると、その方は名古屋から新幹線で来ていた。
地元の人間にとっては身近な山“なんでこんなところにそんなわざわざ?!“と思ったそう。
車のないおばあさんにとって駅の近くで富士山と海が見える沼津アルプスは大切な山だそう。
だからこそ地元の人には大切にしてほしいと言われた。
身近すぎて気づかない裏山にはだれもが羨む素敵な要素がいっぱいなのだ。

他県から来たからこそ分かること、それは大儀さんもだ。
全国各地、いろいろなところで業務をしてきた。沼津の前は長崎だったそう。
沼津に来て、沼津アルプスはもちろんのこと狩野川の良さにも感動した。
山と川が近く、上流から脈々ときれいな水が流れており、こんなにもきれいな一級河川は全国でも稀。

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だが、川には“近づくな危険”の看板。
大儀さんと同じ機関が建てた物だが、とてももったいない事だと感じたそう。

参加者の方から意見を聞くと、昔の狩野川を知る人もおり、原体験として狩野川で遊んだり、高校の部活でボート部のため狩野川が青春時代の生活の一部だったり、様々な思い出を思い出を持っていた。

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果たして、今の子供たちは?
昔の思い出も語れなくなってしまうとまったくそこは意味のない場所になってしまう。
子供にも川が楽しいと伝えていくことが、10年,20年後も地域の魅力にもつながるのではないだろうか。
楽しさを知るには、川の危険を知らなくてはならない。
だが川に触れなければ危険はわからない。

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【現在の取り組みのこと、これからのこと】
昨年から川に関わる取り組みが大きく始まった。

大儀さんは子供たちに川に親しんでもらうきっかけを作ろうと思い、沼津河川国道事務所では狩野川で生物調査やカヤックに乗るなどのイベントを行う狩野川わくわくクラブを始めた。

沼津市、国交省、商工会議所、そしてあげつち商店街で狩野川活用研究会を立ち上げ、来年度は協議会となる。
昨年から社会実験事業として、試験的に河川敷でリバーサイドカフェ、水辺のステージ、オープンテラス、BBQを行い、Lot.nでは体験カヤックを行った。

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イベントだけでなく、日常にどう返していくか。
イベントは入口、そこから日常に戻す出口をちゃんと作っていくことが大事だ。

大儀さんから“長崎さるく”という取組について紹介があった。
長崎の良さを味わうのは、まちを歩くのが一番。そのために観光地から路地裏までを街の皆で紹介するような取り組みだ。

まず、自分たちの地域の良さを知ること。
川のある街の魅力を地元目線の地図にしていこうという提案も。

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ランドネは、山登り初心者の方にもきっかけという入口を作り、さらにはもっとファンになってもらうためランドネ山大学などコミュニティーを作り出す。
佐々木さんからその真意を伺った。

入口の作り方は雑誌の強みである写真の力、ビジュアルが重要だそうだ。
さらにイベントを使いキャッチー面を見せつつも実際そこで楽しんでいる人がいることを伝えていく。
実際これだけの力が集まっているんだっていう事を示すのも大事な事のようだ。

そんな話の中で面白い提案が佐々木さんから挙がった。
それは“全国ミニアルプスサミット”を沼津アルプスのある沼津でやること。
狩野川で前夜祭として川遊びや地元の食材を集めたり、水辺のステージをやってみたり。
そして次の日はみんなで沼津アルプスにチャレンジをするという、想像しただけでもわくわくする企画だ。

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最後にお二人の未来を伺った。
大儀さんはこれからも狩野川をはじめ川や道路を通じて地元をより魅力的にするために、行政として、そして皆さんと一緒に頑張っていきたいそう。
佐々木さんはランドネで今後もやってきいたい事は“山だけでなく、山周辺にある文化など総合的に楽しむことをもっと発信していきたい”とのことだ。

トークライブでの3人の意見交換、そして参加者のみなさんの経験の発表やご意見は川のある生活の面白さ、山から海へと狩野川がつなぐ静岡東部の自然の多様性を改めて知り、この地域がさらに面白くなる可能性があることを共有する時間となった。

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360度沼津~大型展望水門びゅうお~

沼津港の観光スポットとしても人気の沼津港大型展望水門「びゅうお」。

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この沼津港大型展望水門「びゅうお」は沼津港の内港と外港を結ぶ航路から進入する津波から港の背後地の50ha、 9,000人を守るために作られた水門だ。
津波をシャットアウトする扉体(ひたい)は、幅40m、 高さ9.3m、重量は406tと日本最大級。
そしてこの水門には展望施設がある。

約30mの高さにある展望フロアには両岸に設置したエレベーターで昇ることができ両岸の機械室の周囲を展望回廊がまわっている。左右の岸をつなぐのは長さ約30mの連絡橋で、
北には愛鷹山、富士山、南アルプスを望み、遠く清水、箱根連山や沼津アルプス、眼下には我入道海岸が広がり、その先に駿河湾に突き出した大瀬崎をくっきりと見ることができる
なんとも贅沢なスポットなのだ。

入場料は大人100円、小人50円で1日、何度でも入場できるというお得感満載だ。

お勧めしたいのは、
沼津港に来たらまずびゅうおに登る。
日中の青空と海、山々をそのままの色で楽しむ。
ここで忘れてはならないのが日没時間のチェックだ。

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そして、一度降り沼津港や若山牧水記念館、芹沢光次郎記念館など沼津港周辺のスポットを回る。

日没の20分前に登る。
エレベーターを待っている間もどんどん日は沈むので早めの行動が望ましい。

そして、変わりゆく空のいろ、赤く染まる富士山や、沼津アルプスを楽しむ。
最後に海に太陽の沈む瞬間は最高だ。
沼津は海に夕日が沈む。その瞬間をぜひ感じてほしい。
こんなにも壮大な景色、周りには遮るものは何もない。

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そしてもう一つ、日没とともにびゅうおのライティングが点灯する。

新鮮館の横の市場のところから沼津港大型展望水門「びゅうお」を見ると
ちょうど水門の間に太陽が沈む。
そして沈んだらびゅうおがライトアップされるという
自然と人工の融合が素敵だ。

日が沈んだら
沼津港の目の前にある沼津の地ビール、ベアードビールのタップルームは午前0時まで営業。
港八十三番地は午後10時までの営業だ。

贅沢な一日は沼津港大型展望水門「びゅうお」から。
ここから見える沼津、伊豆、富士山、箱根の景色を見て静岡の旅がまた面白くなる。

≪沼津港大型展望水門「びゅうお」≫
沼津市本字千本1905番地の27
沼津市産業振興部観光交流課
TEL:055-4746
NPO法人沼津観光協会
TEL:-964-1300
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kankou/sisetu/byuo/

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竹と共に暮らす~浅宮商店~

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“私は3代目なんですけど、まだ140年位しか経ってないです(笑)”

笑顔でそう語ってくれたのは沼津竹材センター浅宮商店の浅宮義和さん。
竹の専門店としてその歴史は古い。
当時は人の暮らしも現在とは異なり、竹は生活の中で多く用いられていた。
海からの風が強い沼津、その潮風から家や農作物など人々の生活を守った沼津垣もそのひとつといえる。
我入道や千本など海辺の町には多くの沼津垣があり、それを作る職人も多く住んでいた。
そんな職人に材料となる竹を卸していたのが浅宮さんだ。

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“沼津垣には箱根の篠竹を使うんです。竹は潮に強く加工もしやすいため、海辺の町の垣根としては都合がいいんです”

実用的にも景観的にも優れている沼津垣、その技術を持つ職人さんも少なくなった。
竹自体の需要も減った。一昔前はザルやホウキなど日常のなかに竹でできたものが多く存在した。
竹はもっと身近なものだったのだ。幼少期から家の仕事を手伝ってきた浅宮さんにとって竹は人生そのものであった。それを表すかのように浅宮商店には3階建てからなる竹のショールームがある。
ショールームの中には多種多様な竹製品、竹細工、美術品が所狭しと並ぶ。
ひとつひとつ嬉しそうに説明を加える浅宮さん、竹について話すことが本当に楽しいそうだ。

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“日本というか東洋の文化にとって竹はかけがえの無いものなんです”

文化を守るという強い気持ちが店を守り続ける姿勢となる。
より多くの人に竹に親しんで欲しい、そんな想いがショールームには詰まっている。
また、伝統的な沼津垣の技術を絶やさないよう、現在は4代目となる浅宮浩典さんが技術を継承している。
家族で守る文化や技術、そこからは沼津という土地の風土と共に生きた人々の暮らしが見えてくる。
竹に囲まれた店内で浅宮さんは振り返る。

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“竹屋の息子として当然店を継ぐように育てられましたからね。本当に竹に魅せられた人生です”

竹だけが並ぶショールームには浅宮さんの人生と情熱が詰まっている。

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≪沼津竹材センター浅宮商店≫
沼津市港湾蛇松町9
TEL:055-962-1878

山の麓にある倉庫

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鷲頭山の麓に3年間眠っている倉庫があると聞き、訪ねてみた。
静浦漁協から山側へ一歩入ったこのエリア。
住宅街のなかにチラホラと倉庫や工場もある。
鷲頭山の入り口をめざして進むとわりとすぐに左手に倉庫発見。
倉庫の裏手には静浦中学校が見える距離。

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角地。長方形の長辺にシャッター6枚。その前には駐車場。
荷物の運び出しに便利な立地である。
ウォークインクローゼットならぬドライブインガレッジ!
反対側からはこんな全景。

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倉庫の隣に二階へ上る階段がある。さっそく中へ入ってみた。

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もともと事務所使用をしていた場所を持ち主がリノベーションした。
変形の二間。入口のあるこの部屋と、左手にリビング的部屋。

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使用感の少ないガスキッチン、給湯器、シンクがそろう。
エアコンもある。

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トイレも水洗の洋式。綺麗だし陽の光が入る。

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実はこの事務所部分、倉庫内に作られた高見の部屋だった。
3年前に板金屋さんが退室してから持ち主の遊び心で。。。

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どど~んと、大・階・段!
(注)決して階段落ちごっことかしないでください

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なんとこの部屋から直接倉庫内に下りていける。
手すりにつかまりながらそろりそろりと下へ。

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程よい広さと十分な天井高。

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逆側からはこんな感じ。
前の板金屋さん制作の道具棚もそのまま。木製。便利!!

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恒例の窓ガラスチェック!ななんと薔薇柄!(驚)
窓には格子もあるので防犯も大丈夫そう。

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外に出ると別棟に危険物取扱用の小屋が!
鉄の扉もいい味出てます。中は現在物置になっている。
使用時には撤去してくれるとのこと。

オーナーより、自由な使い方をして欲しいとのこと。

そうですね。。。私だったらまずシャワールームとドミトリー型寝室を
一階に作って複合アトリエにして。。。
いわゆるシェアアトリエ!ここなら自由に大きな物の製作ができそうだ。
あとは。。。ポールダンスとかエアリアルとか高さの必要なスタジオ!
あとは。。。自然光活かしてパネル型のハウススタジオとか。。。
あとは。。。あとは。。。

キリがないのでこの辺で。
とまぁ、いろんな妄想の膨らむ物件だ。

【物件情報】
住所 : 沼津市志下
敷地面積 : 373.55㎡
建物面積 : 144.73㎡
倉庫鉄骨造スレート葺2階建て
敷:礼  リノベーション内容によってご相談
 家賃  :10万円
取扱い不動産屋 大橋土地(株)

問い合わせ* 090-5626-1527 (小松正人)