3月1日、気仙沼の5箇所の高校でも卒業式が行われた。
その翌日に気仙沼市内の鹿折小学校で卒業ライブが行われた。
そのイベントのサポートを沼津からもさせて頂いたため、沼津ジャーナルでも報告をする。
「中学の卒業式の前日に津波がやってきて、満足に卒業式ができなかった。だから高校の卒業式の次の日に、自分達らしい卒業ライブをしたかった。」
実行委員長の菊池南海さんはそう語られた。
実現に向けみんなで動きはじめる。
サポートをした小野寺真希さん。
(菊池さんや小野寺さんは底上げYouthという地域への取り組みをするコミュニティにも参加していて地元の高校生だけでなく、全国へ気仙沼の魅力を発信し幅広い世代と交流をしていた。)
《高校生で作った気仙沼恋人スポットのリーフレットを持つ小野寺さん》
でも、高校生だけでは前に進まない。
そこで毎月一回気仙沼のコミュニティスペースで行われている音楽のワークショップのレコハコで相談する。
(このレコハコは、毎年10月に行われるサンマを焼きながら音楽を楽しむ、気仙沼サンマフェスティバルから生まれた。このイベントは水産業に携わる山下さんが実行委員長となり東京からアーティストを呼び高校生も演奏に参加した。音楽の好きな社会人と高校生の交流するきっかけが始まった。)
山下さんとレコハコの世話役をする妊婦の津谷さんは高校生の想いをカタチにしていく。
といっても地味な作業だった。
まずは会場探し。
企画書を持ってまわるがなかなか使用できる場所がない。
なんとか、気仙沼市内の鹿折小学校を借りる。
そして問題になったのが運営資金。
そこで、沼津のライジングサンマフェスティバルの支援金を使うことに。
(昨年度のライジングサンマフェスティバルは子どもたちが笑顔になるプログラムに対し支援する事になっている、引き続きこの高校生の取り組みなどを応援していく予定だ)
想いがつながり、卒業ライブが3月2日にこうして始まった。
高校生、昨年卒業した先輩、そして社会人たちが参加して手作りのイベント。
高校生の地域への活動報告も展示された。
緊張するなか気仙沼市内の4校の卒業生のライブが12時にスタートした。
仙台や東京などからもアーティストがボランティアでお祝いにやってきた。
高校生とプロが一緒のステージが始まると会場はさらに熱気に包まれた。
底上げYouthの報告を小野寺さんと後輩が発表する。
想いは次の代につながれる。
底上げYouthは、リーフレットを作る他にも、気仙沼で一番大きなお祭り、港祭りのスゴさを再発見し発信すること、気仙沼の郷土料理「あざら」をPRすることなども進め、高校生目線で気仙沼の魅力を発信し全国から観光に来てもらうことを目指している。
近所の商店の女将さんが、底上げYouthなどの活動を、「目の前にある事としっかり向き合い、そしてしっかりと行動する事、高校生の取り組みから本当に元気をもらっています」と笑顔で自慢していた。
「震災でつらい事もいっぱいあったけど、震災があったから出会えた人、見たことない景色にも巡り合えた。そして今こうして素晴らしい場に立てている事は震災のおかげだと思っている。」
演奏をしていた高校生ステージで語られた。
実行委員長の菊池さんからも多くの方に感謝の言葉も。
震災から3年。
高校生生活を復興と共に過ごした卒業生。
話していると、とても頼もしく思えた。
ステージの前列では、後輩たちが純粋に音楽を楽しみ、真ん中では同級生がちょっと寂しそうに演奏を聞き、後列では大人たちがその光景を嬉しそうに静かに見守っていた。
社会人メンバーは高校生が楽しくすごせるように、全力でそしてさりげなくサポート。
夢を語る人、夢に向かって一緒に行動する人、夢が現実になるため環境をつくる人、夢の実現を喜び一緒に喜ぶ人、そしてまた次の夢を持つ人。
会場には笑顔が溢れていた。
地域って素晴らしいと心から思った。
震災で失ったものは大きいが、築き上げたものはもっと大きい。
彼らがこれから想いをカタチにし続けていくと、そう言える時が来るはず。
そして私たちはもっと港街の気仙沼から多くの事を学ばなければいけない、と強く思った。
沼津ライジングサンマフェスティバルで手ぬぐいを購入させて頂きました。少ない額ではありますが、被災地の方々に少しでも力になれたらと思いまして。その支援金を今回ご使用いただけたようで、嬉しく思います。
人の優しさ、人の力強さを感じました。
笑顔の裏に隠された悲しさ、私には計り知れないものがあろうかと思います。
それでも負けずに前を向いて頑張っていく姿に勇気をもらいました。
ありがとうございます。
サンマフェスティバルの時は、手ぬぐいのご購入ありがとうございました。
絶望を経験し、そこから今と向き合い、過ごしてきた彼ら。
そんな高校生からも私たちは多くの事を教えてもらうべき事がたくさんです。
ライジングサンマフェスティバルなどを通じて、これからも被災とはつながり、様々なことを教えていただきたいですね。