記念日を彩る

駅からほど近い沼津の住宅街にあるラセール。
本格的なフランス料理を味わうことができるここは平成元年にオープンした。

しかし、歴史は古い。
江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作家、近松半次の遺作『伊賀越道中双六』は
日本三大敵討ちの一つを題材にした名作である。
その舞台に沼津の雲助・平作が娘と営む茶屋がある。
その名を持った「平作茶屋」という名物割烹がラセールの前身なのである。

フランス料理店になっても
皿にはローマ字で「平作」と銘がいれてある。

フランス料理という新しいジャンル、アプローチで
この伝統ある東海道を大切に残しているラセール。
伝統を守り、上質な料理を提供する
料理長の平舘さんにお話を伺った。

平舘さんは12年前に東京から沼津へラセールの料理長としてやってきた。
それまでは旅行で2~3回来たことがあったくらい。

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もともとフランスや東京など各地で料理を勉強していたこともあり
土地を変えることにはあまり抵抗感はなく
むしろ海も山もあって住みよい場所だと感じた。

ラセールではフォアグラやキャビアなどのフランスの食材と
静岡東部の食材をあわせて使用している。

ひとつひとつ手の込んだ料理には
わざわざ来てくれた客さまに
なかなか食べることができないようなものを
そして移りゆく四季を感じられるようにと料理にはシェフの想いが詰まっている。

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フランス料理、こだわり抜かれた高級な料理。
記念日やウエディングに利用する人が多い。

好きな彼女を誘ってみる大切なディナーや
夫婦でたまにはゆっくりとした時間を過ごそうといった
空間になるように料理から店内、サービスまで心がけている。

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世の中には安くて量が多いほうがいいということもあるけれど
ゆっくり食事をする時間を楽しんでもらいたい。

フランス料理はテーブルマナーが厳しそうで
やはり敷居が高く近づきにくい。
だが、
「子供に注意をするような常識の範囲でのマナーさえあれば大丈夫。
楽しく食べてもらうことが大切。」と平舘さんは言う。

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あとはプロのウエーターがエスコートしてくれる。
わからないことはお店の人に聞けば教えてくれる。
ゆったりとリラックスした気持ちで
流れに身をまかせることも楽しむポイントだ。

沼津にはたくさんの恵みとそれを操るプロがいる。
「たとえばお寿司ならたまにはカウンターで目の前で握ったすしを食べてもらいたい。
本物に触れること、おいしいものが手に入る街に住んでいるんだから。」
と平舘さんは言う。
フランス料理を通じて、この恵み、歴史、そして「食事をする上質な時間」を知ることができるだろう。

今回沼津自慢フェスタ2013のセンターテーブルにも出店する。
「沼津にいる以上はみなさんのお役にたちたい。
そして年に1度のイベント、自分自身も楽しみたい。」
意気込みをいただいた。

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フランス料理 ラセール
〒410-0022 静岡県沼津市大岡日吉1706-2
営業時間(Lunch) 12:00-14:00 (Dinner) 18:00-21:00
定休日 毎週:月曜日

こだわりのノリペチーノ

沼津のアーケード街を抜けて左にちょっと行くと
”PiLOT”と大きな青いロゴをつけた古着屋がある。

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お店の中には、オーナー夫妻が
直接アメリカから買い付けたり、デザイナーと直接やり取りをして仕入れたアクセサリーや洋服などのこだわりの商品が並ぶ。

17年を迎えたパイロット。
今日もかわらずお客さんに愛される二人の空気がお店の中に充満している。

ふとレジカウンターをみてみると
奥さんがお客さんと話している。
旦那さんが見当たらない。

どこへ行ったのかと聞くと、かき氷を売りに行ってると。
え?と思わず聞き返してしまいそうになるが
夏の間、旦那さんのノリさんはかき氷屋になる。

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ノリペチーノといわれるかき氷。
かき氷の概念が変わるおいしさと驚きを秘めている。
シロップもカクテル用を使用したり、
静岡県産のお茶やシロップ用にコーヒーをブレンドしたりとこだわり、妥協は許さない。

看板メニューであるキャラメルダブルコーヒーノリペチーノは
朝ドリップした濃いめのコーヒーに、手作りコーヒーゼリー、キャラメルシロップ、練乳がたっぷりかかっている。
山盛りの氷にももちろんこだわって。

最初はかき氷を堪能する。手作業ならではのふわっとした中にしっかりとした氷の存在感。
シロップと練乳。そして触感の違うコーヒーゼリーがアクセントになる。
食べ進めていくと氷も解けちょうどいい濃さのコーヒードリンクになる。
最後までサプライズの続くかき氷なのだ。

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どうしてかき氷やを始めたかというと
「かき氷器を借りることになったんだけど、機械がかっこよくてこのかっこよさに惹かれた。
この機械があったからはじめたよ」
”TAKARA船”を掲げるかき氷器は
たしかにかっこいい。
手作業で回すレバーも特注品。
どんどんカスタマイズを進めているそう。
性能はよくなったからといって、手作業で氷を削っているのには変わりはない。

休むことなく一人でかき氷器を回し続けるノリさん。
だが疲れも見せずにお客さんへ一言かけながらノリペチーノを手渡していく。

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実は今年で8年目になるノリさんのかき氷。
最初はお祭りの日だけだったが、外に呼ばれるようになり、
もっとおいしいかき氷を作りたいというノリさんの想いが、ノリペチーノに日々進化をもたらしている。
評判を聞きつけてたくさんのお客さんがくる。リピーターも多い。

夏の間だけのノリさんのかき氷。
ノリさんの笑顔とノリペチーノ。
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漁師町の相撲大会

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“子供たちは大きくなってもおぼえてくれている”

笑顔でそう語るのは地域の体育委員を務める沼津市議会議員の岩崎英亮さん。

我入道、浜町にある八幡神社はこの地域の氏神様だ。
八幡神社の例大祭に合わせ、奉納こども相撲大会が毎年夏休みのこの時期に行われる。
参加するのは我入道の九つの地区、南条町、一本松、林町、
津島町、稲荷町、秋葉町、江川町、東町、浜町。

土俵は堤防の外側、野球グラウンドの片隅に作られる。
岩崎さんによるとこの相撲大会は、80~90年前から行われているそうだ。

“昔は漁師が多かったから、子供に限らず青年も参加した。
漁師の若者だったから結構激しくてね。
今は漁師も減って子供の数も減った”

時代の流れとともに青年の部、中学生の部はなくなり、
今年は沼津第三小学校に通う小学生57名がエントリーした。

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この歴史ある相撲大会には、かつて伝説的な選手もいた。
男子ハンマー投げのメダリスト、室伏広治選手のお父さん、
“アジアの鉄人”こと室伏重信さんはここ我入道の出身。
幼いころ、やはりこども相撲に参加したそうだ。
当時を知る岩崎さんによると“周りとは体つきが違かった、強かった!”とのこと。

大人たちが地域の子供の成長を見守る。
“小学校1年から参加して年々大きくなっていく、そういうのを見ているとこちらも嬉しくなる”
という声を聞いた。

こども相撲大会が地域の振興、はたまた教育を担っている。

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8月25日、あいにくの空模様の中(例年はよく晴れるそうだ)
八幡神社の神主さんによる祝詞奏上から大会は始まる。
開会式中もおしゃべりに夢中だった小学生もいったん試合が始まればみな真剣だ。

試合は“豆力士”と呼ぶにふさわしい1年生からはじまり6年生まで順に行われる。
子供が一生懸命ならば自然と大人たちの応援に熱が入る。

こうして会場にある種の一体感が生まれる。

地域のつながりが希薄になっている現代において、ここには相撲という共通言語がある。
お父さんもお爺さんも、みんながやってきた相撲。
それは時代を超え共有する想い、なくなりつつあるコミュニティを支えるみんなの気持ち。

“細々とですが、そういった地域の伝統を守っていくことが大切なんです”

子供たちを見守る岩崎さんの眼はやさしさで溢れていた。

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“おもす”が見せてくれたもの

沼津から車で海沿いを走る。
海越しに富士山を眺めることができる絶景の道。
市内から約40分、重須という地域がある。
海から山へ視線を移す。
あたりにはみかん畑が広がっている。

ここは有数のみかんの産地。
寿太郎、青島をはじめ多くの品種が栽培されている。

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みかん農家が多く集まるこの地で
企業と生産者が一緒になって商品開発をするプロジェクトが行われた。

今回、内浦重須の農業者有志12人が所属する農事組合法人おもすに所属するみかん農家の岩崎さんにお話しを伺った。

このプロジェクトの始まりは東京のウエディング会社ノバレーゼのCSR活動にあった。
もともとCSR活動をしており、その中で植樹などをしていたがなにかほかにできることがないか探していた。
そんな時、ウエディング雑誌の営業をしていた岩崎さんの息子が実家がミカン農家だということを話した時に
「これだ!」と思ったことが始まりだったそう。

さっそくノバレーゼのマネージャーたちが岩崎さんのところへやってきた。
女性ばかりだったことも驚いたが、
「農業のことはまったくわかりません。でも重須を元気にしたいんです!」
と張り切って言う彼女たちに「面白いことを言うな~」と思ったのと同時に本当にそうなればいいなと思ったそう。

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早速、ミカン狩りに新入社員が20人来るということになった。
20人全員を一人で引き受けるのは難しかったので、
この思いに賛同してくれる同世代の奥さん同士も協力し合える農家が4軒で引き受けることになった。
実際にやってみると、受け入れた農家のおじいちゃんおばあちゃんがとても喜んだ。
重須のミカン園に新しい風が吹き込んだ日となった。

さらに第一次、第二次、第三次産業が連携して農作物の付加価値を高める6次産業化支援ということで
岩崎さんたちの農事組合法人おもす、ノバレーゼ、そして浜松のソースメーカー鳥居食品が手を組んだ。
そしてミカンの栽培過程で出る、これまで活用されていなかった“摘果ミカン”を有効活用した100%ミカンのお酢「想酢(おもす)」を開発した。

商品開発、そして販売までの間で大変なこともたくさんあった。
みんなが集まるときはいいが、自分たちだけで次の準備をするときにうまくいかないこともあった。
だが、それぞれに違う立場で刺激しあい協力した形が“想酢”だ。

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ずっと同じところに住んでいるとその地域の良さが“当たり前”になってしまう。

みかん畑で楽しそうに作業をする新入社員たち。

岩崎さんは言う。
「ここまでみかん畑で楽しそうな人を見たことがなかった。
自分の住む場所、そして農産物でこんなに喜んでいるのを見ていたら、自分もとても嬉しかった。」

人を喜ばせる仕事をする人、そして新入社員の若い力は
農家の人たちに元気と喜びを与えた。

一方で、新入社員たちも新しい気づきやこれから社会で働くことの糧になっただろう。

重須で“想酢”が作り出したもの。
それはただのご当地商品だけではなく、
絆や喜び、地域を見直すきっかけ、そして成長。

この取り組みは今年で4年目。
好評につき年々出荷本数を増やしている。
そのたびに、新しい社員や農家さん、ボランティアの方が増えている。

そんな想いのたくさん重なり合った“想酢”。
素敵な出来事を想像しながらこのお酢を味わってみたい。

≪参考≫
NOVARESE CSR 活動報告

≪販売場所≫
オーモス
金岡直産市
JAふれあい市・長泉産直市
西部産直市KU~ら
JAなんすん(沼津みなと新鮮館内)

朝5時から営業するおにぎり屋の想い

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“基本の丁寧に握るってことを大事にやってます”

沼津港から橋を渡り西伊豆の玄関口に朝5時から営業する松風軒がある。
手作りのおにぎり、から揚げ、お弁当など地元の人から観光客まで人気のお店だ。
種類豊富なおにぎりのなかでも、あじの干物やあしたか牛など地元食材が目を引く。
食材へのこだわり、人気の理由を二代目の浜村直洋さんに訊いた。

●浜村さんはお店を手伝うようになってどのくらいになるんですか?
「僕は高校卒業して大学に行ってそのまま東京で就職したんです。10年前に沼津に帰ってきたんです」

●サラリーマンだったんですか?
「そう、まあいろいろありますよね(笑)」

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香貫山を歩く

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“とにかく体験していただきたい”

そう語るのは御用邸やびゅうおなどを無料でガイドしている
ぬまづ観光ボランティアガイドの会長、笠井幸子さん。

この日、伊豆半島と香貫山の生い立ちを学びながら、
駿河湾に沈む夕日を眺めるといった趣向で香貫山夕暮れウォークが行われた。

市民文化センターを出発し芝住展望台を目指すのは総勢80名。

リュックさえ持たない身軽さが香貫山の魅力でもある。

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標高は193m、伊豆半島の付け根、静浦山地の最北端に位置し、

登山愛好会が命名した沼津アルプスという名称も定着している。
市民文化センターから歩いて15分もかからないうちに、周囲は自然に囲まれる。

しばらく歩き、中腹に差し掛かると原田濱人(はらだひんじん)の句碑がある。

“玉麿りて いにしへの日は 永かりき”

濱人は旧沼津中学(現沼津東高)の教師をする傍ら、高浜虚子の弟子として活躍した人物である。

パーティは香陵台で休憩しつつ伊豆半島の成り立ちを聞く。その香陵台に歌人、若山牧水の歌碑がある。

“香貫山 いただきにきて 吾子とあそび

ひさしくをれば 富士はれにけり”

大正9年、東京から沼津に移住してきた牧水がまず気に入った山こそ香貫山である。
パーティは沼津の自然と文学に触れつつ展望台を目指す。

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その道中、話していただいたのは東京出身のボランティアガイド大山さん。

“沼津は海も山もある、気候もいいし食べ物もおいしい。

交通のアクセスがいいから東京の郊外といった感じ”

大山さんも牧水と同じように東京から沼津に来た。
それからおよそ50年、沼津を愛し暮らしている。
このあたりは昔も今も変わらない人情といえるだろう。

あたりが夕方の優しい光に包まれるころ、芝住展望台に到着した。
出発から1時間強、眼下には駿河湾、牛臥山、沼津港、狩野川、千本浜が広がる。
もちろん天気のいい日には富士山も姿を現す。
沼津市中心部から南東に2.5km、この景色を知らないのはなんとももったいない話である。

現在、日本生命のCMでこの香貫山からの景色が使われている。
たった1、2秒なのだが、海・川・山・街が同じ画にあるこの風景はとても印象に残る。
日本人にとって身近な景色。
そしていつでも香貫山には日本の美しさがある。
春の桜、秋の紅葉、そして駿河湾に沈む夕日。

“とにかく体験していただきたい”

すべてはこの言葉に集約される。

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五重塔までは車でも行け、ここからの景色も絶景だ。

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CENTER TABLE

沼津自慢フェスタ、今年のテーマは“食の祝祭”。

祝祭に向けて準備も着々と進んでいる 。

CENTER TABLEでは、今年も料理人のコラボで美食を提供する。
一日60席限定で予約制となる。

■9月12日(木)
○ラセール(フレンチ)× ○中国料理 王味(中華)

■9月13日(金)
○山正(和食)× ○サンテラスキッチン(イタリアン)

■9月14日(土)
○美食倶楽部 蓮(和食)× ○SHORE ショア(フレンチ)× ○Ninoe(フレンチ)

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今年はオープンキッチンから料理人が祝祭をより艶やかに演出する。
料理人チームのリーダー美食倶楽部 蓮の伊藤さんに今年の意気込みを聞いてみた。

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お店のカウンターから狩野川や沼津の街を見ていると
“とてもここがいい場所でありもっとこの地域の良さを多くの人に発信しないといけない”
と思うそうだ。
伊藤さんは料理人として“食”を通じて地域のお役に立ちたいとそんな想いからこのイベントに参加する。

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沼津港からの鮮魚、愛鷹山麓の農産物、畜産物、海沿いで育った柑橘。
そして富士山麓や伊豆からの食材。
この恵まれた食の資源は日本に、いや世界に誇れるものだと思う。

そして、沼津にはその資源をさらに活かし、食卓に幸せをもたらす料理人も多くいる。

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食を通じて地域を想う気持ちが料理人に伝わり様々なジャンルの方たちが参加する事となった。
和・中華・フレンチ・イタリアン。
沼津ジャーナルでは参加する料理人の想いも順次紹介していく予定だ。

CENTER TABLEでは料理人の技と想いがつまった“食”を是非とも堪能して頂きたい。

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日本で初めてウィンドサーフィンをした男

御用邸から牛臥海岸に向かっていくと小さなウィンドサーフィンのショップがある。入口にはいくつものサーフボードが塀のようにディスプレイされ、その奥には味のあるテーブルなどがおいてある。そこからオーナの大川さんひょっこり出てきた。真っ黒くやけた体に、無造作に結んだ髪、飾り気のない雰囲気はなんともかっこいい。

大川さんは外国からのウィンドサーフィンをなんとか組み立てようやく出来上がって、初乗りした海が牛臥海岸だったようだ。

ボードがボロボロになるほど、毎日通う。
でも道具のセットの仕方や、セーリングのイロハ…誰も教えてくれる人がいなかった。
「日本でウィンドサーフィンを最初にをしたのは、自分だった」と、後から知ったようだ。

ウィンドサーフィンに携わり40年。
サーフショップは「理想の夢」に向かって一つ一つ形にしていったそう。
海から上がってシャワーが欲しいな、とかスポーツの後にビールが飲めたらなとか。
そうして築きあげたこのショップには歴史と全国の人から愛されていることが伝わってくる。
実際、大川さんも40年の間に大変なこともあったが、いろんな人が来てくれたことを喜んでいた。

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現在このショップの利用者は地元6割、県外が4割だという。一見地元の人も来ているようだが半数が県外。あまり地元の人に知られていないというのが現状である。

この牛臥は有数のマリンスポーツに適した場所である。カヌー、サップ、ウィンドサーフィン、また沼津で唯一サーフィンができる場所でもある。つまり、風と波の両方を楽しめるスポットなのだ。

できるだけみんなが海を楽しめるようにほぼ毎日スクールを開催、ショップも海から全員戻るまでは閉めない。相手は自然。天候は変わりやすい。安全に遊べるように、海で悲劇が起こらないようにショップには重要な役割があった。

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海はお金をかけて遊ぶところというイメージも強かったり、マリンスポーツも敷居が高いような気がしてなかなかチャレンジできないひとも多いのではないだろうか?
その敷居を低くするのに一役買ったビーチフェスタにも大川さんは積極的に参加し、盛り上げた。
牛臥を知らない人、海に興味がない人も海に触れ合う機会になった。実際、その後機材をレンタルに来た家族もいたそうだ。
「海で遊ぶ家族をみるのは本当に気持ちいい、町に根付いたクラブになるのが夢」と大川さん。

この日は、熱海からウィンドサーフィンをしに来ている85歳のおじいちゃんがいた。慣れた手つきでボードを運んでいる。週に2~3回、海に入ることで健康管理をしているそう。

このほかにもウィンドサーフィンをしに来た人が何人かいたり、大川さんからショップによく来る人の話を聞いたが、海がライフスタイルの一部になっていることがよくわかる。それが週に何度も海に来るにしろ、月1回にしろ、ここを好んでくる。特に都内から来る人にとって、「インターから近い海」である沼津はとても良い場所だ。

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牛臥では、もちろんマリンスポーツをしてもらいたいが、マリンスポーツをする人たちを見るだけでも面白い。海をライフスタイルの一部にとりいえることができるのは、沼津の特権だ。その取り入れ方は人それぞれだ。マリンスポーツをするでもよし、眺めるでもよし。海を私たちの生活の一部とし、大切にしていきたい。

ウインドサーフィンプロショップ・ドゥメール オオカワ
〒410-0822 静岡県沼津市下香貫牛臥2802-5
TEL:055-931-1070
セーリングハウス TEL:055-931-0676 FAX:055-933-4574

自然のサイクルの中で

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魚の放流と聞くとなんとなく可愛いイメージが湧くが、その数が10万匹(!)となるとそうも言ってられない。
場所は内浦、江梨中間育成場。
通常の漁を休み、コストをかけてまで放流をおこなう理由を静岡県漁業振興基金の影山さんに訊いた。

干物を産業にしたパイオニア

“いろいろ失敗したからわかることがあるんです”

沼津で干物を本格的に産業として築き上げた羽野水産。
50年前は沼津産と謳っても全く売れなかったのが
「沼津といえば干物」と言われるようになった。
海の恵みを多くの方に提供したいという信念。
この想いの実践が干物の流通革命を生み出し沼津の干物をブランドにしたようだ。
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久保田社長が干物産業の歴史と今を語ってくれた。
鮮度が大切な干物。
かつては製造して次の日には売らなくてはならなかった。
そこで冷凍の技術を生み出したのが先代の社長。
そうすることによって日持ちが1日延びた。
(この当時、保冷車や売り先で冷凍庫がない)
1日だけだがこの1日が大きい。
鮮度を保った状態での輸送が可能になったのだ。干物の需要は一気に加速した。
トラック輸送が可能になり、当時競争相手が少なかった関西へ積極的に販売。
たちまち沼津の干物は売れるようになった。
鮮度を保つための挑戦、段ボール、保冷箱…
沼津スタイルの干物の流通を他県の業者も真似をするようになる。

沼津でも新規参入の干物屋が一気に増えた。
一時は300軒近くの干物屋があったが現在は食生活の変化や海外製品が増えたりと、需要が減り100軒まで減少。
このような状態の中でも常に時代の変化に合わせて色々な工夫をしてきた。

加工工場の中を見せてもらった。衛生管理のいきわったった作業場には魚臭さはなく、この日は鯵や金目鯛など種類、産地、大きさが違う10種類ほどの魚が加工されていた。材料の魚を解凍する機械や塩漬けをする機械など数種類の機械がある。
よりおいしい干物をたくさんの人に届けられるように機械もオリジナルで作り上げてきたものだ。
最初に電気で乾燥をさせる機械を作ったのも羽野水産だそうだ。

機械の奥では職人が、見事な手さばきで次々に魚をさばいていた。
一瞬で驚くほどきれいに取れる内臓、そして均等に開かれていく魚たち。1時間で一人約250枚。
熟練の技は最低でも半年はかかるそう。機械と手作業が相まって干物産業を支えている。

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羽野水産の工夫は機械設備だけではなかった。
その一つに「銘茶干し」がある。
品質にこだわり添加物を使わない。
銘茶干しは、味付け工程でカテキンの豊富に含まれた4種類の静岡県産緑茶の煎出液に溶け込むことで、酸化防止をはかり、同時に魚特有の臭さを抑え、冷めても身の柔らかい開きを実現。
また水も駿河湾深層水を100%使用し、魚本来の旨みを引き出すことに成功した。

魚によって塩の吸収される時間が違ったり、魚を洗う行程のある干物作りで緑茶が流れてしまわないような工夫など、何度も失敗を繰り返しながら技術を蓄積していった。

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また、食べ方の工夫もある。
干物をどうやってたべるか。焼くだけじゃないのか?と思いがちだが、沼津の学校給食では「干物の素揚げ」が出される。
羽野シーフーズではこの素揚げにぴったりな小ぶりの鯵の開きを販売している。

骨まで食べれるサイズの鯵に揃え、揚げたときに塩辛くならないよう通常の干物よりも塩に漬ける時間を短く、目玉は揚げると固くなるのでとっておくという徹底ぶり。

現在は、沼津港で食べられるカリアゲひものバーガーや、沼津カリアゲひもの研究会が色々な場所で干物の素揚げを販売している。
その一つとして沼津自慢フェスタ2013でもこのカリアゲ干物を食べることが出来る。
干物をもっと身近に感じてもらえるのではないだろうか。