寿司屋のカウンターで気軽に食べる方法

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沼津と言ったら寿司。
寿司の醍醐味は旬の魚をおいしく感じられること。
カウンターで職人の握る技を見ながら食のストーリーを聞くのも楽しみの一つだ。
しかし、寿司屋でのマナーや値段の問題などで敷居が高いと感じて敬遠してしまう。
沼津市では気軽に寿司屋の楽しさを味わえるよう「カウンターで寿司食いねェin沼津」キャンペーンをおこなっている。これが何とも地元の人にも観光客の方にもうれしいキャンペーンなのである。

今回は協力店のひとつ、大岡にある寿司の大将を訪れた。
暖簾をくぐると威勢のいいあいさつが出迎えてくれる。

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気分は一気に寿司モード、さっそくキャンペーンのおまかせコースを注文する。
寿司の大将は沼津市出身のご主人、鈴木喜久男さんが29年前に開いた店だ。

“それまでは東京で修業してたんですけど、沼津に戻って店をやりたいなと思って”

もともと寿司を食べるのが好きだったから寿司屋になることにしたという鈴木さん。
好きこそものの上手なれ、この分かりやすさは好感が持てる。
そんな会話をしているとサッと出されるバチマグロの赤身。
美味い!やはり目の前で握られる寿司が一番だ。

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寿司はカウンターで食べるのが一番おいしいというが、はじめてのお店でカウンター食べることはなかなか勇気がいる。だが、この「カウンターで寿司食いねェin沼津」はおまかせコース3,150円と値段が決まっているので安心。沼津の寿司を気軽に楽しむことができる。

“都内と比べるとやっぱり鮮度が違いますからね、なるべく地のものを出したいと思っています”

アジやシラス、サバはもちろん、駿河湾のトロール漁で獲れたタチウオや手長エビなどその日の仕入れによってコースの内容を変える。県外からの観光客も沼津ならではのネタに喜んでくれると鈴木さんは言う。

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こちらの食べるペースに合わせて、テンポよく握られる寿司。
鈴木さんが自信を持って勧めるインドマグロのトロや職人のひと手間が加わる穴子など次々に目の前に出される。そのひとつひとつに必ず一言つけてくれるのが嬉しい。カウンターだからこそのやり取りを楽しむ。

“カウンターで握りたてを食べるのが一番いい状態ですからね。僕らも修業時代は隠れて食べたりして。盗み食い、あれが一番美味かったですよ(笑)”

自然と会話は弾み、あっという間におまかせコース13品を食べ終わる。

“好きに食べて、自分なりに楽しんでいただければいいんです”

鈴木さんは満面の笑みで幸せな時間を締めくくる。

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寿司屋でのマナーが掲載されているカウンターデビュー応援ブックも制作されている。
ロットンにも置いているのでぜひチェックをしてカウンターへ!
「カウンターで寿司食いねェin沼津」協力店は26店。
沼津港、沼津駅付近、郊外のお店でいつでもこのサービスを利用できる。
参加店舗一覧をこちらで確認して頂きたい。
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kankou/taberu/sushi/supporter.htm

寿司の大将
沼津市大岡自由ヶ丘1977-8
電話:055-924-2895

カウンターで寿司食いねェin沼津
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kankou/taberu/sushi/

歌舞伎を見る~沼津の段~

浄瑠璃や歌舞伎の題材として敵討ちがある。

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その題材の中でも有名な一つに沼津での物語がある。
それは伊賀越道中双六(いがごえんどうちゅうすごろく)の“沼津の段”だ。
敵を追う主人公たちの移動につれてさまざまな人々の義理と恩愛とにからんだ悲劇が次々と東海道筋に展開されていく。
沼津警察所裏の狩野川のほとりに、この物語の地蔵尊があり毎年7月にお祭が行われ沼津の人々に親しまれている。

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「沼津の段」は屈指の名場面とされ、親子兄妹の悲しい対面の物語が感動を呼ぶ。
この沼津の段は単独でもたびたび上演されるほど。

今回はその沼津の段が上演されるということで国立劇場に歌舞伎を見に行った。
さらに今回は通し狂言の伊賀越道中双六(いがごえんどうちゅうすごろく)。
江戸時代後期から一つの演目を通しで上演することは珍しいらしい。
前後がわかるということでより沼津の段がよ楽しめるとのこと。

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国立劇場は半蔵門駅から徒歩3分、正面に行くとのぼりやちょうちんが飾られている。

パンフレットを買って席に着く。

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まずパンフレットで物語の内容を確認。
人それぞれだがある程度物語をわかったうえで見ることによって
理解しながら見ることができるのでちょっとしたユーモアにも気づくだろう。
加えて音声案内を借りるのも手だ。

幕が開き、着物に身をつつみ独特な化粧をした女形の人たちが話し出す。

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“思ってたよりも言葉が聞きやすい”
のが第一印象。
歌舞伎に対して“難しい”と思ってたがそんなことはなく
すんなりと入り込むことができた。

そして舞台の両端には
語り手と尺八、太鼓。。。
生の音色が響き渡る。

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歌でもなくでも、ただしゃべっているのではない独特な語り口調。
そして客席から名場面などで「よっ!」という声や各役者の所属先の名前を呼ぶ声が飛ぶ。
慣れていない私は、驚くことが多い。

歌舞伎では休憩が何度かある。
一番長い35分間の休憩で多くの人はお昼をとる。
開演前にレストランの食事も予約でき、
ビーフシチューやチラシ寿司などバリエーションも豊か。
もちろんお弁当やサンドイッチも売っている。
持ち込みも大丈夫だ。
開演中は食事はできないが休憩中は客席でご飯を食べても大丈夫だそう。
私はローストビーフサンドイッチ800円を買って外のベンチで食べた。

つかのまの休憩をはさみ、3幕はいよいよ沼津の段。
最初の屋敷のセットはがらりと変わり
富士山と松。そして川。
親しみ深い景色へと変わる。

そして会場の中を役者があるくというサプライズも。
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東海道宿場町、沼津。
1里と短いながらもかつてあった三枚橋城と狩野川を迂回するようにかくかくと曲がり進む道。
その面影は今では看板などささやかながら沼津に残っている。

会場のロビーには土産物屋やお弁当屋などが並ぶ。
歌舞伎揚げのお菓子のパッケージでおなじみのカラーにちょうちん。
ちょっとしたテーマパークのようでわくわくする。
今回は沼津の段と絡めて沼津物産協議会による店舗も出店していた。

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お茶、ひもの、平作もなかなどの沼津を代表する物産が並ぶ。

伊賀越道中双六をテーマにした「平作もなか」を創業よりつくるいせや本店代表の居山直行さんに話を伺った。
いままでも小劇場では演目がかかるときに販売していた。
今回、初めて大劇場平作もなかが並ぶ。

なぜ平作もなかが出来上がったのか。
“戦前戦後このあたりは大きな企業でいっぱいだった。
その中で、接待につかう料亭やお土産に菓子屋、
このあたりのお店は新商品を作ろうといつも考えていた。
その中で先代がこのテーマに目を付けたのが始まり”

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いせや本店が題材にしているもの、
平作のほかにも、江原素六や千本松、狩野川。

決して、派手ではないが地元になくてはならないもの。
そして地元のベースを作ってきたもの。

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今では国立劇場と一緒に物産を販売や企画をしたりと
歌舞伎にも力を入れている。
修行をしていた大阪のお店の近くにも浄瑠璃の劇場があったらしく
“歌舞伎を題材したお菓子を作り、今こうやって歌舞伎にかかわっているのは運命なのかも”
と。

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沼津という地が過ごした時の流れ。
その流れを歌舞伎で表現すること
お菓子で表現すること。

東海道が残していく物語、そして伝統芸能である歌舞伎は
今もこれからも続いていく。

国立劇場
東京都千代田区隼町4-1
TEL:03-3265-7411
★通し狂言伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく) 四幕七場は2013年11月26日(火)まで開催中

いせや本店
静岡県沼津市幸町2番地
TEL:055-962-0222 / FAX:055-962-0223

沼津を見てきたタウン誌“狩の川”

“地元で育った強み。信頼があったからできた”

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準備期間の半年を経て
昭和42年12月5日、“狩の川”という配布無料のタウン誌ができた。
今ではフリーマガジンは見慣れたものとなっているが当時は新しかった。
銀座百点という銀座でも人気のタウン誌を模範にしてできた第1号。
その後、10年間、突然来た最後、昭和52年11月20日発刊の64号まで続いていく。

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内容はなかなか衝撃的なトピックスも、
「かっこいい」や「遊び」をテーマにしたり
独特の切り口で沼津の校歌を特集したり。。。
商店街の紹介もインタビューから商品紹介まであらゆる手法で書かれてある。
今読んでも“おもしろい”と読みこんでしまうタウン誌である。

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今回この“狩の川”の編集を務めた花村邦子さんに伺った。

沼津へ戻っていた、東京でシナリオライターをしていた花村さんのお兄さん間藤守之さんに
東京の会社から企画としてタウン誌を作らないかと話が合った。
だがお兄さんはそれを断った。
胸の内をきいていみると“自分の生まれ育った沼津。
よそのから入ってきた企画のタウン誌はつくりたくない”と。
その気持ちを聞いた花村さんは兄の気持ちを汲んで“私がお金をだすからつくればいい”と後押しをして始まった。

センター街(現上土商店街)を中心に相談方々、広告を出してくれる会員のお願いにお店をまわった。
あっという間に77件の会員が集まったという。

今までなかったことにこんなにも寛大に応援してくれる。
その理由。
“信頼はすでに親、兄弟が培ってくれていたから”
初めの一歩はもう踏み出していた。
自分の力だけではできなかったと気づいたという。

“お前たちがやるなら応援するよ”
街に人たちの言葉。

そしてなにより花村さん兄妹の力で出来上がった。
スタッフの人数は増え、さらに顧問に映画監督の故五所平之助さん(三島在住)や
執筆にお菓子放浪記の西村滋さん(元沼津在住)や大御所詩人の大岡信さん(三島在住)などの
多くの文人の協力も得ることができた。

時代も変わり10年もフリーマガジンを続けていくことは
大変なこともたくさんあったという。
子供を育てながら編集、取材、そしてスタッフのマネージメントをしながら街を見つめた。

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“でもねクラブ活動のように楽しかった”
その言葉がとても印象的だった。

狩の川が花村さんにもたらしたものは
辛さも、苦しさも、楽しさも、すべてものを“かけがえのない経験”にした。

“狩の川は地元の人に育てられたから10年続いた”
と花村さんは言う。

広告で成り立っているタウン誌というのは育ちにくく続けていくことは難しい。
その中で育てられた狩の川。

その当時も会員になり狩の川を支えてた一人である
井筒屋の片岡さんもいう。
“狩の川は沼津の商人の心意気をよく伝えてくれた”と。

“数年後に図書館にファイルされてあることを人から聞いたの。
大事にされてきたことがわかった。やってきてうれしかった”
と花村さんは言う。

実際に今も町には大事にこの“狩の川”を大切にしている人がいる。

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今の時代にフリーマガジンを大切にとっている人は何人いるだろうか。
それほどこの“狩の川”がみんなに与えたインパクトは大きく、
そしてみんなに育てられたことが伝わってくる。

“時代が早すぎたの”
花村さんはおっしゃっていた。

私はこの冊子が過去のものには思えない。
それはこの地域の“人”の本質をとらえ感性豊かな内容だからであろうか。

私自身も“狩の川”に出会えたことは嬉しく、刺激的に感じる。
私たちが出しているこの沼津ジャーナルも、
時代を越えて大切な存在になりたいと心から思った。

今も育ち続けている狩野川。
そしてそれを守る街の人たちによって今も育てられていると感じた。

戦災前から続くフルーツ店

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昭和28年、いまだ空襲の傷跡が残るなか、沼津アーケード名店街は戦災復興の象徴として建設された。
そのアーケード名店街ができる以前から店を構えるのが老舗フルーツ専門店、アーケードフルーツ。
代表取締役である橋本光弘さんは3代目にあたるそうだ。

“一番最初は饅頭屋だったそうです。おじいさんの代からフルーツを売るようになったんです”

店頭に並ぶのは季節のフルーツ。この時期はみかんや柿、リンゴなどが並ぶ。
客層は地元の方々がほとんどを占めるが、長泉町の四ツ溝柿を求めて毎年この時期に注文をする都内の方もいるそうだ。
四ッ溝柿は独特の甘みがあり、果肉は柔らかく、ジューシーな味わいがあるとのこと。
そういった説明が一言加わるのも専門店の嬉しいところだ。

西浦みかんなどもあり地元のフルーツを知れて観光客の方にもおすすめだ。

郊外の大型店に客足が伸びるなか、それでもこの場所で昔ながらの商売を続けることにこだわる。
長年、この商店街を見続けてきた橋本さん。
橋本さんが子供の頃には芸者さんが住む花街が本町にあったそうだ。
アーケード名店街には百貨店の松菱があり、アーケードフルーツも夜11時まで営業していた。

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“本町に映画館があったんで、映画が終わってからフルーツを買って帰るお客さんもいたんですよ”

当時、本町には沼津映画劇場をはじめ映画館が何軒か立ち並んでいた。
映画の上映が終わった夜11時、お土産としてフルーツを買って帰る人の姿もあったそうだ。
その後、駅前に西武ができ、時代とともに賑わいは沼津駅南口に移る。
時代が変わり、人通りも変わった。
そういった状況にあって90年間、フルーツの専門店として続けてきた。

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“フルーツはその店独自の味を出すことが難しい商品なんです。だから、差を出すのが難しい”

24時間営業の大型店もでき、コンビニでもフルーツは買えるようになった。
それでもアーケードフルーツを目指してくる常連さんがいる。
橋本さんに会いにやってくる。そこには昔も今も変わらない人情がある。
街は変わっても、変わらないものがここにはある。

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アーケードフルーツ
沼津市町方町58
電話:0559-62-4485

雨の庭園を眺めながら

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11月10日に松間の饗宴2日目が行われた。

雨のため会場が庭園から東附属邸へ。
ここは大正天皇が学問所として使っていた所だ。

イベントというとBGMが必要だがこの空間では雨の音、天気に合わせ変化する庭の表情を眺めているのがとても面白く音楽は必要なかった。
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昨日とまた料理人が変わる。
フレンチのaiaiはトロール漁のスープドポワソン、
西浦みかんを使ったクレープ。

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中華の一歩は鯖を黒酢で揚げ、野菜をあんかけご飯に。
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天然酵母のパンのワイルドオーブンも参加した。
昨日に引き続き富士山麓野菜と石塚豚のプレート。
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かの川は、大中寺芋と天城軍鶏の炊き合わせ。

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山正の釜揚げシラスと桜海老の佃煮のチラシ寿司。
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志高き生産者と料理人のコラボレーション。

食材を提供した生産者のみなさんもお越し頂いた。

大中寺芋の会のみなさん。

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戸田塩の会の菰田さんは、ふじやまプロシュートの渡辺さんと新しい出会い。
“もしかすると、プロシュートを戸田塩を使い作るかも”
と渡辺さんが話していた。いったいどんな味になるのだろうか。楽しみだ。
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東附属邸の凛としたなかで、食と向き合う時間。
改めてこの地域の事を考える。

ここ沼津御用邸は東京の皇居から移築されたそうだ。
なぜここの地が選ばれたのか。
燦々沼津大使でもある建築史家の浅羽英男さんは、気温や湿度が大きな要因だったと教えてくれた。
そして海のそばで富士山が見える景観。

水産物、畜産物、農産物と恵まれた食を楽しめたのも大きな要因だったかたもしれない。

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特別な場所は、時が経ち我々市民も使えるようになった。
我々はこの場で特別なモノと向き合える特別な時間を愉しんでいきたいものだ。

沼津御用邸記念公園
沼津市下香貫島郷2802-1
電話:055-931-0005
ホームページ:http://www.numazu-goyotei.com/

眼鏡を選ぶ過程を楽しむ~グラスファイン~

【2013年の記事です。現在は記事のサービスを施設で提供しておりません】

駅から歩いて上土商店街にはいるとすぐグラスファインというメガネ屋がある。
中にはきれいに並べられためがね。
それはどれもこれもデザイン性に富んでいる。
そしてオーナーの荒川さんの雰囲気と相まって落ち着いてもいるし、あったかい雰囲気もある。

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実家は眼鏡屋。でも眼鏡屋になりたいとは思わなかった。
だが、東京に行きたかったという理由でメガネの学校に通った。
そのまま大手メガネ店に務めるものの楽しいとは思わなかった。
むしろサーフィンに没頭していた。
そして静岡に戻り、実家を手伝いながら海で遊び
貯めたお金で時計の学校に通い、時計を修理する職人になろうと思っていた。

そんな荒川さん、今は眼鏡屋。

その理由。
たまたま大阪に先輩が独立してメガネ屋をオープンさせるということで遊びに行った。

“いわゆるこういう(今のグラスファインのような)メガネのセレクトショップのようなスタイルの
メガネ屋をやっていたんですよ。
その人が人間的に魅力がある人だったことも合わさってこれはやばいなと。
こういうスタイルだったら眼鏡屋をやってもいいなと思ちゃったんです”

その帰りの新幹線でメガネ屋をやる決意をした。
次の日から物件を探し始め1年ほどでスタートさせる。

最初のイメージ、
それは駅から離れたちょっと静かな商店街の中で
小さな眼鏡屋をやること。

まさに今のお店。

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静岡東部でやるならなんとなく沼津とおもっていたのだが
当時はデパートも多く条件にあう空き店舗がなかった。
納得はできなかったがもう探し始めて1年がたっていたので
どこでもいいからやるかと、物件が決まりかけた帰り道、
上土商店街にポンと空いている所。
すぐ電話して見せてもらい、即決。
たまたまその日に空いた物件だった。

“目的のある人が来てくれる距離感”
お店を始める時は不安が大きかっただろう。
実際に聞いても、

“最初は全然うまくいかないですよ
最初の2~3年は生きた気がしなかった”

セレクトで眼鏡屋をやっているのはなかなかなかった。
だがお店をはじめて13年、確実に築きあげてきたものがある。
荒川さんのお店には大切にメガネを選ぶ人が来る。
メガネをとにかく売るのではない。

“お客さんにとって一番気に入ってもらえるもの
一緒に選びたいんです”
と荒川さんは言う。

こだわりぬいてセレクトされたものは
デザインも、品質もよく、
何よりその人の新たな自然な空気感をつくる。

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以前、私も仕事を辞めた時に心機一転しようと
メガネを買いにった。
何度も何度も通い、
2か月かけてメガネをやっと決めた。

毎回一緒に悩んでくれ
“気に入ったら買えばいいよ”
と言ってくれた。
そして大切な一つを買うことができた。

“人が人のためを想って作ったものを
人が想いを込めて人に紹介する。”

≪グラフファイン≫
沼津市上土町72-5
TEL055-954-3663

街と変化するホテル

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“ホテルでご飯を食べたとか子供たちの思い出になるような場所になれたらいい”

そう語るのは沼津リバーサイドホテル、販売促進課の遠藤太郎さん。
リバーサイドホテルに変わったのは2年前、その前の沼津東急ホテル時代を合わせると17年間、上土のランドマーク的な存在として街の変化を見てきた。
客層は大きく分けてふたつ。宿泊目的の県外者と結婚式やレストランなどを利用する地元住民だ。
宿泊も平日のビジネス目的と週末の観光目的で分けることができる。

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“基本的に伊豆や沼津港に行く人の基地です。結果的に中継地点として機能してますよね”

週末は伊豆探索の拠点としての役割を果たす。
客室は富士山や駿河湾を望む西側客室と箱根連峰から狩野川を望む東側客室がある。
宿泊はシングル7,000円から利用可能。
また、レストラン施設としてダイニングレストランKEYAKI、日本料理かの川、ラウンジバーriver viewを備える。

“広告を出したから人が来るのではなくて、人が人を連れてくるようなホテルづくりを目指していかなければならない”

常に高いサービスを維持すること、ひとつひとつの積み重ねがホテルの信頼を作る。
そんなコンセプトは週末、狩野川河川敷を利用したリバーサイドテラスにも見受けられる。
狩野川のゆったりとした流れ、心地よい風を感じてもらおうと始めたリバーサイドテラス。
程よい力の抜け具合、無理のない自然体が沼津らしさを感じる試みである。

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“非日常であるイベントを作るのは簡単なんです。日常として定着させていくのが難しいんです。ひとりでも多くの人に狩野川の河川敷が気持ちいいことを知ってもらうことが大切なんです”

ひとりでも多くに、そして継続することが大切だと遠藤さんは語る。

“長く続けること、市民に愛される場所を作るということはやっぱり時間がかかることだと思います”

狩野川の流れとともに変化していく街、その街と一体となったホテル。
一回限りではない、日常使いとしてのホテルがここにはある。

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沼津リバーサイドホテル
沼津市上土町100-1
電話:055-952-2411
http://www.numazu-rs-hotel.com/

俺が食いたかったから

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“干物屋だって時代があって、皆さんの食生活は毎年のように変わっていくんです”

干物のインターネット販売を沼津で一番最初に開始した、ぐるめ街道のふなとにお話を伺った。
インターネット販売だけでなく沼津で干物の真空パックを最初に作ったのもふなとである。
沼津ぐるめ街道の入り口に店を構える干物屋、ふなとは昭和47年から干物製造・海産物販売の実績を持つ。この日も川崎から沼津へ仕事に来たという方がお土産として干物を買っていく姿が見られた。
接客を担当するのは代表取締役の渡邉一浩さん。干物に関してわからないことがあれば丁寧に説明してくれる。

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移ろいゆく時代のニーズを察知できるのは対面販売をしているからだと渡邉さんは言う。
ふなとのこだわりは製造工程にある。
量販店のいわゆる開きとは違い、ひとつひとつの工程を丁寧に手作業で行う。
それは生産性をあげるより美味しさを追求した結果である。
さらに温暖な気候と浜風、富士山の湧水という自然の恵みがそこに加わり、ふなとの干物が出来上がる。

“昔からオリジナルな干物をいろいろ作っているんですけど、今でもうちのナンバーワン商品はトロさばです”

トロさばとは脂ののったさばのみを厳選し、干物職人がうす塩天日干しのみで仕上げた商品。
魚全体に脂が良く回っているため、焼くだけでカリカリと香ばしくなる。
トロさば開発のきっかけはなんだったのか、渡邉さんに訊いた。

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“俺が食いたかったから(笑)自分がさばの塩干しを食いたかったからおふくろに頼んだんですよ”

スーパーで扱っているものとは比べ物にならないその出来に驚いたそうだ。
今となってはふなとを代表する商品として全国の飲食店に供給されている。
それでも大量生産ではなく、あくまでも沼津らしさ、沼津の干物であり続けることにこだわり手作業を続ける。

“ぐるめ街道は地元の人に使ってもらえるようにならないといけない。親しみを持ってもらえるよう、まずは知ってもらわなくちゃいけない”

ぐるめ街道振興会の会長も務める渡邉さん。地元の人が利用しやすいぐるめ街道へ。
トロさば同様、新しい驚きは意外と近くにあったりするものである。

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沼津ふなと
沼津市岡一色332-3
電話:055-922-2123

御用邸で沼津の恵みを食す~松間の饗宴~

今日は11月9日、10日と開催される松間の饗宴の初日である。
松間の饗宴は11月2日から始まった松籟の宴の中の一つのイベントである。

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秋の恵みを味わうひとときをテーマに、
御用邸記念公園の本邸奥庭で行われた。
草月の作り出すダイナミック竹のモニュメント。

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そして沼津の家具作家OFCのテーブル。
その上にはドイツで修業をした女性オーナーが営むアコルトの花。

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庭園の空間に料理人が集まった。

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リバーサイドホテルのかの川、
フレンチのSHORE、イタリアンからはサンテラスキッチン。
それぞれシェフたちが腕を振るうのを目の前で見ることができる。

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さらに麦豚工房石塚、フジヤマベジを提供するREFS。
そして、OPERA、魚ぶん、イルパリオ、LOTUS SWEETS、御殿場からはふじやまプロシュート。

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今回特別に用意された沼津の食材をふんだんに、そしてお店のカラーで仕上げていく。
大中寺芋、深海魚など沼津港市場の水産物、丹那牛乳、戸田塩など。。。

アルコールも白隠正宗やベアードビールの地酒もそろった。

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沼津ジャーナルでも取材を重ねてきた。
その一つ一つが集結し、形になった。

今回はこの話を聞きつけてきた東京からのお客さんや、
明日沼津アルプス縦走する方たちも来ていた。

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チケットを買い、思い思いの料理を買っていく。
そして松林の中で特別な時間を過ごす。

ステージでは琴の演奏もあった。
波の音と松林の中に今だけの特別な空間が気持ち良い。

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明日は天候が雨になるため東附属邸で行う。
東附属邸でこのようなイベントをするのは初めてだ。
歴史を感じる空間でこの地域ならではの恵まれた秋の食材を味わう。
出店店舗の入れ替わりもあるのでまた違う“食”と“空間”を味わえるだろう。

松間の饗宴
明日は最終日!

本物に出会う経験をする場所~まきじ きざし~

【2013年の記事です。】

“職人にはこだわりがなければならない。
職人はひとつひとつ丁寧に教えたり、伝えなければいけない。
リードするのが職人である”
そう話すのは狩野川のすぐそばに店を構える
まきじ きざしの大将、小田島長次さんである。

まきじ きざしは東京日本橋で修業を積んだ大将による
沼津を代表する料理屋だ。
沼津でお店を構えて20余年になる。

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料理人ではないお客さんが
料理を食べる時、
この食材が安全かどうか。
これは違うと気付く人がどれだけいるか。
多くの人は気づかないだろう。
嘘偽りのないものが並ぶのが大前提だから。
それを真摯に守り、伝えていくのが料理人だとまっすぐと伝えてくれた。

料理屋で食べる楽しみの一つとして料理人からの説明がある。
うるさく言われることや押し付けられることが嫌だという人もいる。
だからこそ“信頼関係”が必要だと。

“静岡には「本物」がある。
わさび、お茶、魚。。。
こんなに豊かな本物を使わないということはもったいない。
そして静岡の良さ、沼津の良さも含め、その「本物」を料理人は伝えていかなければいけない”
と言う。

だが、最近では国産の“本物”を使うとコストがかかってしまう。
だからといって同じものを冷凍や海外のもので代用しようとしても意味がない。

貴重なものは貴重なまま、本物のまま食べるのが必要に感じた。

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時代の流れとともに失われつつある本物。

“職人ができること。
それは本物だけど貴重ではない食材に手をくわえ上手に使うこと。
そして貴重な食材と合わせて使うこと。”

たぶん本物に触れることは努力しないとできないのだと思う。
緊張してもお店に行ってみる。
食べてみる。
お金を払ってみる。

毎日というわけではない。
記念日や嬉しい事があった日。。。
私たちの意識が本物をどんどん手の届かないところに追いやってしまう。

食材もそうだが器やカウンターにもこだわりがある。
白の漆で塗られた真っ白のカウンター。
出会ったことがなければ扱いも変わってくる。
器も欠けてしまっても金継をして大切に使う。

大将が一生懸命つないでくれている、
本物との懸け橋。

“本物がなくなる世の中なら生きていてもしょうがないですから”
大将のまっすぐで嘘偽りのない言葉。

伝統を守り続けてくれることで
失われない“本物”
本物に出会える靜岡という場所。

料理屋に入るときもう一つのポイントを教えてもらった。
作法や食材など、わからないことは聞くこと。
そして、
“なにかを持って帰ること。
純粋に勉強したい、知りたいと思うことは料理のことでも器のことでもなんでも聞いてください。
このお浸しおいしいですね、どうやって作るんですか?というのでもいいんですよ。
素直に美味しいって感じてくれて聞きたいって思ってくれれば料理人は喜んで答えます”

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本物がある場所で学べることはたくさんある。
本物に出会わないと学べないことがたくさんある。

まきじ きざし
沼津市魚町5番地201-1(シャリエ御成橋2F)
電話/FAX 055-951-0223

営業時間:昼席 12:00 ~ 14:00 夜席 17:00 ~ 21:00 日曜日休み