【2014年の記事です。】
“この仕事を始めてから小学生の友達がいっぱいできました(笑)”
そう語るのは沼津を中心にポン菓子の移動販売を行っているポン吉の大塚国雄さん。
ポン菓子とは米などの穀物に圧力をかけた後、一気に開放することによって膨らませた駄菓子の一種であり、昭和中期頃までは定番のお菓子として子供に人気があった。大塚さんがポン菓子の販売を始めて2年が経つ。
原料にこだわり、静岡県内産のお米を使い、愛鷹山の伏流水を毎朝汲みに行くという。
“美味しいと言ってまた来てくれるお客様がいると嬉しいですね。オフィス務めではなかなか味わえない感覚だと思います”
東京や長野で会社勤めをしていた大塚さんが会社を辞め、沼津に引っ越してきた理由はスキューバダイビングをやりたかったからだと言う。
引っ越しの候補地として沖縄もあったが、子供たちが遊びに来るのにのアクセスがいいという理由で沼津を選んだそうだ。
“大瀬があったから思い切って引っ越してきたんです”
スキューバの魅力、大瀬の魅力に惹かれた大塚さん。
定年退職してからでは身体が動かないかもしれない、だったら早めに会社を辞めてもう引っ越してしまおう!
とためらうことなく行動に移した。
その時に出会ったのがポン菓子の移動販売という仕事だった。
知らない土地で知り合いもなく、未経験の仕事を始めることに不安はなかったのだろうか?
“会社に勤めてたときと比べれば収入は不安定かもしれません。でも、食べるには困らないし、なにより楽しいんです”
なかには一日中その作業を見ている熱心な子がいたり、ある時は10人ぐらいの小学生グループの溜り場になったりと、その光景はまさに昔ながらの駄菓子屋ともいえる光景である。
そんな集会場としての駄菓子屋、ポン菓子のおじさんとしての役割に大塚さんは満足しているという。
もしも、宝くじが当たったとしてもこの仕事は続けます、大塚さんは嬉しそうに語る。
仕事と趣味、充実した日々を沼津で手に入れた大塚さんの表情は本当に優しい笑顔で溢れている。
≪ポン菓子 ポン吉≫
販売予定は下記HPをチェック
初めまして、ポン吉さん(^o^)/
何だか良い笑顔でやってる感じですね!(^o^)b
私もポン吉さんと同じ50代(というよりは、間もなく紅いチャンチャンコ世代に突入しますが・・・^ム^)です!(^^ゞ
ポン菓子の移動販売、生計は成り立って行けるのでしょうか?(^_^;)
私はお袋が認知症であった頃、記憶を取り戻す手段の一つとして、ポン菓子機を思いつき、東京まで出向いて
行って、超小型ポン菓子機を購入し、お袋のお世話になっている通所介護所にて、ポン菓子機の実演をし、
お袋を含めた何人かの利用者さん達が、一時的であっても無表情から各々の昔へと戻ってくれて、
利用者さん達の家族と共に、穏やかな日々を過ごした経験があります!(^^ゞ
もし可能であるなら、カミさんと二人で決して贅沢せずに暮らして行けるのであれば、残りの人生を未来の大人たち
である子供たちや、己の生活基盤を作り上げて来てくれた年配者たちに敬意を表して、ポン菓子機の移動販売、
挑んでみたいと思っています!