【人辞典・校了】その瞬間と場へ一本の線を描くために~沼津美術研究所/青木一香~

【2018年の記事です】

“最後の瞬間(時)に一本の線を描きたいの”

70代とは思えない、チャーミングでやさしく美しい笑顔からは想像ができないほどの強く意志のある“ことば”を青木一香先生がおっしゃった。

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住宅地として人気の高い山王台エリアに青木先生が主宰する沼津美術研究所がある
ここでは絵の勉強ができたり、「墨の部屋」と名付けられた一室では、青木先生の作品を見ることができる。

そして自宅兼、アトリエもとても魅力的な場だ。

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一歩足を踏み入れると外観からは想像できない世界が広がる。
3つの部屋をつなげたというリビング兼ダイニング兼アトリエの床には“紙”が貼られている。
見渡してみると、廊下や扉、トイレの壁までも。
つまり、部屋中が青木一香の“作品”で作られているのだ。

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“居心地のいい空間にしたいんじゃない”
とおちゃめに答えるが壁を取り払い、紙を貼ってしまう大胆さには少々驚く。
大好きなもので作られた場所、これがお菓子だったらヘンデルとグレーテルみたい。

青木先生は1942年 岐阜市に生まれる、4歳より沼津で育つ。
幼少よりお父さまから「書」の手ほどきを受ける。
そして絵画に興味を持ち東京芸術大学へ。
“うちはあまりお金持ちじゃなかったから大学は国立しか考えてなかった。そしたら美術の大学って一つしかないのよ!”
2浪して入った大学、浪人中は東京にある現代美術研究所で学んだ。
画材など何かとお金がかかる勉強に、いろいろなアルバイトをした。
だが、研究所で過ごした時間は恩師と盟友に巡り合うことができ、学生時代も研究所仲間とグループ展をした。

絵を描き、33歳の時に「海を描く現代絵画コンクール展」に入選。
自分の絵の道筋が見えてきたので沼津に拠点を移す。

毎年青木先生に絵を見せに来ていた美術大学を志望する一人の男性の声から、沼津に美術研究所を開くことにした。
沼津で美術大学に行く準備をする生徒たちが集まり、
42年間続いた研究所に通った生徒は延べ1200人。
沼津でも東京と同じレベルの勉強をして美術大学に臨むことが出来るように、近年まで研究所を続けた。

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≪美術研究室で生徒を教えている青木先生≫

沼津に与えた影響の大きい青木先生。

かつて街中のビルに美術研究所、そしてを発表する場をということで商店街にE・SPACEを作った。
沼津の美術界を支えたひとり。

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“いろいろやっているようによく言われるんだけど、結構ストイックなのよ。
本当はいろいろやりたいんだけど、そしたら絵を描く時間が無くなっちゃうでしょ?”

そして今。
青木一香として新しいステージへ。

絵は描いても描いてもゴールはない。
次はこうしようって、毎回迷いながら作品を作っていく。
絵を描き続けてきた青木先生の
常により良いものを、そして最後の瞬間(時)に描く一本を追い求める姿勢。
その勢いはとどまることを知らない。

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青木先生に影響された人に何人にも会ったが
アトリエを見て、作品を観て、そしてこれから歩き出す“青木一香”を目の前にしてわかったこと。
それは“青木一香”自身出すとんでもなくまっすぐで純粋な“線”に対する想い、
それが人々を動かしているということだ。

“最後に納得いくものに会いたい。これ!って思えるような”
いくつになっても変わらない前向きな行動、
そして追及心。その瞬間を共に感じてみたい。


沼津美術研究所

沼津市山王台8-11 シルクマンション105
tel:055 – 951 – 3728
開所日:日・火曜日
墨の部屋:金曜日 13:00 ~18:00