“沼津って歴史がたくさんある場所なんです。”
国道一号線添いにたたずむ、明治を思い出させる建物がある。
ここは沼津市明治史料館。
江原素六、兵学校など近代の沼津を知ることができる場所である。
江原素六は幕府軍として新政府軍と戦うも負傷、その後沼津へ移り住んだ。
沼津では、教育者として旧幕臣の子女への教育の為、沼津兵学校、駿東女学校(現・静岡県立沼津西高等学校)設立し
東京には麻布学園を創設した。
また愛鷹山で牛や羊を飼い、西洋式の牧畜を始め、牛乳やバター、チーズ、羊毛などを生産。
お茶を栽培し、輸出する事業を興こすなどこの地域に新たな産業をつくる。
そんな江原素六が駆け抜けた明治を知れるこの施設。
2フロアにわたる展示スペースには当時の江原邸の一角を再現したものや、
当時使われていた実際のものなどが並んでいる中には沼津の昔の地図があり、当時はこんなものがここにあったのかと驚かされる。
今回、主任学芸員の木口さんに話を聞いた。
木口さんは福島県出身。各地で学芸員をしており10年前にこの資料館にやって来た。
福島と違って雪も降らず、気候も温暖で水もきれい。とってもすみやすい場所だと感じたそうだ。
そして、この気候はずっと昔からかわっていない。つまり、昔から人々はここに住んでいたということになる。
ずっと昔から住みやすいということは、ずっと昔から人が住んでおり、そこには必然的に歴史が刻まれていく。
そう、沼津は言わずと知れた歴史が満載の地なのである。
廃藩置県などの「教科書で習った言葉」もこの展示の中にいくつも出てくる。
日本で一番古い小学校を持つのも実は沼津、
日本の歴史の要をちゃんと沼津は体験しているのだ。
しかし、何度も空襲にあって焼け野原となりその度に復興してきた沼津では昔の面影を感じることができる場所が少ない。それは仕方ないことである。
そんな中、沼津市明治史料館は「昔を感じ、知る」ことができる数少ない場所なのだ。
ここで学ぶこと。もちろん歴史のこともあるだろう。だがもう一つ「ルーツを知る」こと。
おじいちゃん、ひいおじいちゃんが何をしていたかも重要かもしれないが、おじいちゃん、ひいおじいちゃん、そのまたずっと前のご先祖さまがどんな生活をしていたか、そのときどんな風景を見ていたか。
教科書だけではわからない、もっと自分自身にせまった歴史を感じることができるのではないだろうか。